撮影日記


2016年06月09日(木) 天気:曇

西明石の西国街道にカニがいた

「明石」といえば,なにを連想するだろうか?
 まずは,日本標準時となる東経135°の子午線が,明石市を通っていることがあげられるだろう。それをアピールするかのように,マンホールの蓋には明石市立天文科学館が描かれている。

今週は,明石市に滞在している。明石市を訪れるのは,およそ10年ぶりのことだ(2006年11月5日の日記を参照)。
 江戸時代には,主要な陸上交通路として,江戸を中心にした五街道が整備された。その1つ,東海道の延長として,京都から下関を結ぶ街道として「西国街道」とよばれる道が整備された。現在の国道2号線は,西国街道とはまったく異なるところを通る場所もあるが,明石付近では,西国街道は国道2号線にほぼ沿っているところが多い。
 西国街道とされる道は,たとえば西明石駅から南東へ進み,明石和坂郵便局の先で国道2号線から離れていく。国道2号線の北側を沿って,農村の雰囲気を残す住宅地を進む。そして,西明石駅から約2kmのところで狭い急な坂をくだり,国道175号線と交わる。和坂郵便局からこのあたりまでの範囲は,和坂とよばれる町である。和坂は「わさか」と読むが,かつては「かにがさか」とよばれていたとのこと。この坂には大きなカニがいて悪さをしていたが,弘法大師がそれを退治した,というお話があるそうで,それがこの地名の由来だという。なお,「かにがさか」に「和坂」という文字が当てられた理由は,聞いていない。

6月4日から6月9日は,「中判写真週間」である。今日は6月9日なので,6×9判のカメラを使うことにしよう。先月,試し撮りをおこなったIkonta 520/2だ(2016年5月17日の日記を参照)。

IKONTA 520/2, Novar 10.5cm F6.3, ACROS

少し狭い道幅が,なんとなく旧街道であることを示しているように感じる。

IKONTA 520/2, Novar 10.5cm F6.3, ACROS

周辺は住宅地化しているように見受けられるが,この沿道は,田園地帯であることを強く示している。

IKONTA 520/2, Novar 10.5cm F6.3, ACROS

昔ながらの農家のそばでは,白い土蔵が朝の光の中に浮かびあがる。

IKONTA 520/2, Novar 10.5cm F6.3, ACROS

この狭い坂が,「かにがさか」ということらしい。

IKONTA 520/2, Novar 10.5cm F6.3, ACROS

まだ,朝早いせいか,人の姿はあまり見かけない。

IKONTA 520/2, Novar 10.5cm F6.3, ACROS

国道175号線を東へこえると,町名は和坂から大道にかわる。大道の町にはいってすぐの公園には,「蟹塚」というものがあった。

IKONTA 520/2, Novar 10.5cm F6.3, ACROS

これは,弘法大師がカニを退治したことを描いているのだろうか。

IKONTA 520/2, Novar 10.5cm F6.3, ACROS

これらについて説明するものは,ここにはみあたらない。

IKONTA 520/2, Novar 10.5cm F6.3, ACROS

さて,和坂の町に戻ってみると,どうしてもこの看板が目につくようになる。一般的に,「飛び出し注意」の看板には,子どもの絵が描かれていることが多い。しかしこの地区の「飛び出し注意」の看板は,カニなのである。大阪府南河内郡太子町の「飛び出し注意」の看板が聖徳太子である(2009年1月1日の日記を参照)ことと同じように,「飛び出し注意」の看板は,その地区の歴史をアピールするものとして機能するようだ。
 明石といえば「子午線」あるいは「明石海峡大橋」あるいは「明石焼き」などが思い浮かぶかもしれないが,弘法大師が悪さをするカニを退治したというお話しも残っているのである。ほかにももっと,おもしろいものがあるかもしれないが,今日は平日なのでもう時間がない。だが,Ikonta 520/2は,こういう早朝のお散歩に持ち歩くときにも楽しいカメラである。こんなにお手軽に,6×9判の大画面が撮影できるのは,とても愉快なことである。


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