撮影日記


2022年01月13(木) 天気:朝晩は小雪

モデルチェンジのきっかけは サマータイムか 特許取得か

広島県内で「まん延防止等重点措置」の対象になっているのは,広島市,大竹市,廿日市市,府中町,海田町(1月6日に選定)にくわえて,呉市,竹原氏,三原市,尾道氏,福山市,東広島市,江田島市,坂町(1月7日に選定)となっている。今朝の新聞では,これを全県に広げる方向で調整がはじまったことが,報じられていた。感染の拡大傾向は,まだまだ続いているようである。なお,「まんえん防止等重点措置」の期限は,1月31日までということになっている。この状況を受けて,1月23日(日)に予定されていた,「ひろしま男子駅伝」が中止になったことも,あわせて報じられていた。

昨年秋にはじめて,「関式サロン露出計」を入手した(2021年10月320の日記を参照)。それは戦前から戦後にかけて長く発売されていて,いくつかのモデルがあることがわかった。具体的には,戦前からの丸型と,戦後からの角型の大きく2つに分けられる。丸型はさらに,戦前のモデルと,戦後のサマータイムに対応したモデルに分けられる(2021年10月31日の日記を参照)。角型には,少なくともIIA型,IIB型,IIIA型の3つのモデルがあり,IIB型については,文字盤の記載内容の違いで少なくとも2つのバージョンがあることまでは,確認できている(2021年11月30日の日記を参照)。
 最近,twitter上で「関式サロン露出計」IIB型に関する情報をいただいた。製品と取扱説明書,外箱の鮮明な画像である。セットになっていた取扱説明書の奥付は,「昭和26年9月5日印刷」の「改訂23版」ということになっている。これは,予想外のものであった。これまでわたしは,IIB型はサマータイムが廃止になった後に発売されたモデルだと,考えていた。入手したIIA型の文字盤には「C.”サンマータイム”採用中は時計の時刻から1時間を減じて本時刻を見ること。」(2021年11月23日の日記を参照)とあり,IIB型に関する情報としてはIIB型に2つのバージョンがあるが,どちらにも文字盤にはサンマータイムについての記述がなかったからである。IIA型が発売後,サマータイムが1952年に廃止になった後にIIB型にモデルチェンジしたのだろうと,想像していた。しかし,あらたに確認できたIIB型はサマータイムが廃止になっていない1951年9月の発売で,しかも文字盤に「サンマータイム」についての記載も見られるのである。
 IIA型とIIB型の違いは,サマータイムの対応/非対応ではない,ということである。また,IIA型の発売期間はサマータイムが廃止になる1952年4月ころまでと考えていたが,それよりずっと早く,1951年9月にはすでにモデルチェンジされてしまっていたということになる。当時,サマータイムの評判はよくなかったようだから,1951年秋の時点で早々に廃止になることが予想されていた可能性もあるが,それならば1951年9月発行のIIB型の文字盤に,わざわざサマータイムのことを書いておく必要もないだろう。ともかく,IIA型からIIB型へのモデルチェンジのポイントは,サマータイムではないところにありそうだ。



上から,IIA型,IIB型,IIIA型の文字盤。IIB型,IIIA型には表面に「特許」,裏面に「PATENTED」の文字が見える。

ここで,昨年末にお貸しいただいたIIB型をあらためて観察してみる。裏面の中心部にモデル名が記されているが,IIA型と,IIB型およびIIIA型では大きな違いがあることに気がついた。IIA型では「MODEL II-A」とだけ記されているのに対し,IIB型では「PATENTED MODEL II-B」,IIIA型では「PATENTED MODEL III-A」となっている。
 「PATENTED」とは,「特許取得済み」という意味だ。あらためて,関式サロン露出計の広告を確認してみよう。
 「アサヒカメラ」1939(昭和14)年5月号の広告では,「新案特許願」と書いてある。その後の号では,それに関連する記載をみつけていない。「アサヒカメラ」1950(昭和25)年8月号の広告の製品写真は,まだ丸型のものである。1951(昭和26)年5月号の広告の製品写真は,角型のものにかわっている。これは,IIA型であろう。ここにも,特許に関連する文言は記されていない。
 そして,1951年9月に発行されたらしいIIB型には,「PATENTED」の文字があり,外箱には「特許」と「実用新案出願中」の文字がある。戦前に出願した特許を,戦後になってようやく取得できたということだろうか。
 さらに,1954(昭和29)年6月に発行されたらしいIIIA型の外箱には,「実用新案」「特許」「登録商標」の文字がある(2022年1月10日の日記を参照)。「アサヒカメラ」の広告では,1954年8月号に「特許」「実用新案」「商標登録」「最新型IIIA型新発売」という文字があり,1958(昭和33)年11月号にも「特許・実用新案」の文字がある。
 これらのことから考えられるのは,「特許」や「実用新案」が取得できたときに,モデルチェンジを名乗った可能性である。戦後に丸型から角型にモデルチェンジしたとき(1950年秋から1951年春ごろと思われる)に,IIA型を名乗るようになった。そして,1951年6月までに「特許」を取得できたことで,IIB型を名乗るようになった。さらに「実用新案」を取得できた1954年にIIIA型を名乗るようになった,という可能性である。
 「関式サロン露出計」のモデルチェンジを追いかけていると,かなり深い沼にはまってしまいそうである。どこかで,勇気ある撤退が必要になるだろう。


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