撮影日記


2022年09月19日(月) 天気:強い台風14号接近,強風,大雨

奥原写真機製作所の痕跡は期待できない?

大阪市立中央図書館で閲覧した古い住宅地図は,「大阪市全商工住宅案内図帳」の昭和36年版と昭和44年版および「大阪市精密住宅地図」の昭和56年版,昭和59年版,昭和61年版の5種類である(2022年9月18日の日記を参照)。このうち,昭和36年版および昭和44年版では,「住吉区我孫子東5-123」に「奥原」(あるいは「奥原定一」)と,「奥原写真工場」という建物が記載されている。しかし,昭和56年版以降のものには,「奥原定一」という家があるだけで,工場は記載されていない。このことからは,「奥原写真機製作所」は1981年までに活動を終えていた可能性がうかがえる。しかし,代表者である「奥原定一」さんは,その後もしばらくご健在だったのだろう。
 この住所を現在の地図などと対比すると,我孫子筋のすぐ東側にある筋の,西側にあったと判断できる。しかし,「奥原写真機製作所」があったと思われる一帯は,大阪市営苅田住宅1号館の敷地内になっており,工場の痕跡などが残っていることは,期待できそうにない。
 これらの位置関係を,略図にまとめた。

電話帳などで「奥原写真機製作所」の住所として示されていた「我孫子東5-40」は,現在のAあたりになる。
 古い道路地図を参考に,当初,このあたりかと考えていた場所@は,実際には「我孫子東5-41」であった。
 当時の住宅地図で,奥原の工場が記載されていた場所は,「我孫子東5-123」で,現在のBあたりになる。

大阪市立中央図書館には,古い住宅地図のほかに古い電話帳も所蔵されており,閲覧ができる。これまでにネット上に公開されていた電話帳では,昭和42年版までで「奥原写真機製作所」の名前を確認していた。このとき閲覧した電話帳は昭和52年版までだったが,昭和52年版の職業別電話帳にも「奥原写真機製作所」の名前を確認することができた。
 これらのことから,住吉区我孫子東において「奥原写真機製作所」が活動を終えた時期は,1977年から1981年に絞りこまれたことになる。
 つぎに,大阪市立中央図書館を訪れる機会があれば,昭和61年よりもあたらしい住宅地図と,昭和52年よりもあたらしい電話帳を,さらに確認することにしよう。そうすれば,「奥原写真機製作所」が1981年までに活動を終えたのか,工場を移転して活動を継続していたのかが見えてくるかもしれない。

ただし,電話帳などに記載された住所は「住吉区我孫子東5-40」であるのに,住宅地図に記載されていた場所の住所が「住吉区我孫子東5-123」になっていることの理由は,まだ見えてこない。


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