撮影日記


2007年01月31日(水) 天気:晴

二眼レフカメラの時代

先日(2007年1月28日)の日記でもふれたように,昭和20年代後半から昭和30年代初頭にかけて,カメラの主流は「二眼レフ」という形態であったと言えるだろう。このころ,日本国内の多くのカメラメーカー(あるいは商社,特約店等 以下「メーカー」とのみ記載)から,さまざまなブランドの二眼レフカメラが発売されていた。しかし,昭和50年代になると,「ヤシカマット124G」と「マミヤC220/C330」くらいしか,日本国内のメーカーからは発売されなくなっている。雑誌等のカタログにあらわれる,二眼レフカメラの種類を数えれば,二眼レフカメラのブームが盛り上がり,そして消えていくようすが見えてくるのではないだろうか。このような見方が最適なものかどうかはわからないが,1つの基準にはなると思う。
 こういうとき,「日本カメラショー」総合カタログのようなものがあれば,手っ取り早く,わかりやすい結果が得られると思う。しかし,「日本カメラショー」は1960年からはじまったものである。いま調べたいのは,昭和30年前後,すなわち1955年前後のものであるから,「日本カメラショー」の資料は役に立たない。もっとも私は,1960年代の「日本カメラショー」総合カタログでは,1968年のものしかもっていない。
 そこで,「アサヒカメラ年鑑」の巻末の広告を参照することにした。「アサヒカメラ年鑑」は,たまたま1953年(1953年3月25日発行),1955年(1955年4月10日発行),1958年(1958年4月20日発行)のものが手元にある。巻末の広告に,毎回,すべてのメーカーが出稿するとはかぎらないが,そこにあるものはその時代の「新製品」ないし「現行製品」であり,それは「売れている」あるいは「売ろうとしている」カテゴリーの商品であることは,間違いないはずだ。

「アサヒカメラ年鑑」1953年,1955年,1958年

上記3冊の巻末の広告から,まず,「カメラ」を宣伝しているメーカーをピックアップした。次に,そのうち「二眼レフカメラ」を宣伝しているものがいくつあるかを数えた。また,宣伝されているカメラの機種数およびそのうち二眼レフが何機種あるかを数えてみた。その値は,以下の表のようになる。

メーカー等の数二眼レフを宣伝カメラの機種数うち二眼レフ
195334165925
195521113914
1958121211

1953年版では,広告を出稿しているうちメーカーのうちのおよそ半数が,二眼レフカメラのラインアップをもっている。「二眼レフカメラ」そのものは,「前玉回転式」と「レンズボード繰出式」に分類できるが,数としては「レンズボード繰出式」が多数派である。
 1955年版では,前玉回転式のカメラは,「リコーフレックス」(VII型)のみとなる。シャッター速度は1/25, 1/50, 1/100の3段階のみであるが,ケース付で6800円という価格は,ほかの機種とくらべて圧倒的に安価である。しかし,これ以外の機種はレンズボード操出式であり,シャッター速度も1〜1/200(あるいは1/300,1/500)をカバーするようになる。価格は2万円前後のものが多いようだが,フジカフレックス(65000円)やコニフレックス(45000円)という高価格な製品もある。カメラの広告を出しているメーカーが減少していること(写真用品の広告が増えている),二眼レフの割合はやはりおよそ半数であることから,数多くのメーカーが乱立する状態が終わりを告げようとしているのではないかと思われる。このころはまだ,二眼レフブームと言ってもよかっただろう。
 さて,1958年版では,二眼レフカメラの広告はわずかに「マミヤフレックスC」の1機種だけとなる。この時期,少なくともミノルタやヤシカもまだ二眼レフカメラを発売していたものと思われるが,ミノルタは個々の商品ではなく会社の宣伝という形であり,ヤシカの広告では「8mm撮影機」のみが掲載されている。ほかにも各社から「8mm」カメラが発売されている。また,上記の表には反映させていないが,8mm映写機,シネレンズ等の広告も多数みられる。このころから,8mmムービーのブームが始まっていくのであろうか。
 ともあれ,昭和30年代前半に,二眼レフカメラのブームは終焉を迎えたのであろう。


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