撮影日記


2002年03月31日(日) 天気:晴一時雨

新たなるステップへ

1年以上に渡って続けられてきた,可部線の「試験増便」期間が終わった。残念ながら,その間の利用客は,JRが主張する(根拠のない)目標値には達していない見込みである。
 しかし,存続活動から発展した,都市部と中山間地域の「交流」活動は,確実に沿線各地域(広島市も含む)の活力を引き出してきた。また,それに伴って,可部線の利用者は増加している。これによって,可部線をどのように維持あるいは代替していくかについて,議論の材料が揃ってきたといえるだろう。
 可部線の存続問題は,単純な数値や感情の問題ではなく,本当にどういう姿で存続させることが適正なのかを検討する,新たなステップに進行したと言えるわけだ。
 2002年3月31日,戸河内町で,これまでの活動の総括的な意味合いでのイベントが催された。この場において,「今後3年かけて検討する」という姿勢を沿線自治体は打ち出し,その間の金銭的補助の提案も含めて,JRにも協力を求めていくという。

このイベント「かべせんフェスタ」は,試験増便期間を通じて,存続運動に関わってきた自治体,団体,個人などの活動を発表する場としても,使わせていただけた。そこに,写真をふたたび展示させていただく機会を得ることができた。
 今回は,広島市の担当者の方のおかげで,戸河内町のパソコンを2台,貸していただくことができたので,スライドショーも2台でおこなうことができた。大いに感謝している。また,単に写真を展示するだけではおもしろくないので,ポラロイドフィルムを用意し,何名かの方の写真を撮らせていただき,そこにメッセージを書いていただいた。それをコルクボードにまとめて貼って,「可部線メッセージボード」を作り,これは広島市に寄贈させていただいた。
 自分に協力できることとしては,写真を使って可部線の魅力を多くの人に知らしめることがある。また,実際に可部線を利用して撮影場所を探すことも,可部線の魅力を見つけ出す方法の1つと考えている。撮影のときは,可部線以外の手段で撮影場所を訪れる必要がある場合もある。可部線を利用できるときは利用する,この姿勢が誰にも必要と思う。

「かべせんフェスタ」では,「環・太田川」という団体もブースを設けていた。
 実は,最近の「環・太田川」の機関紙に,マイカーの環境的,経済的負荷が大きいことと,その負荷の軽減のために,「マイカーだけに頼ることのない」姿勢が必要であるという駄文を寄稿させていただいた。ところが,恥ずかしいことに,その文がパネル化されて,「環・太田川」のブースに掲示されていたのであった(笑)。


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