インターネットオークションで,佐和式露出計算尺が出品されているのを見つけた。画像を見るかぎり,それは「初期型」であり,「PATENT NO 180310」と「NO 196802」という2つのパテント番号が記載されており,いまのところもっとも目にすることが多いと思われるバージョンのものである。しかし,その出品画像には違和感があった。よく観察してみると,革ケースに記された「Sawa's Exposure Reckoner」「ARS」という文字が,ケースの辺に対して斜めに記されているのである。手元にあるものでは,革ケースの辺に並行に記されており,見た目の印象の差はとても大きいものである。
文字が斜めに記されているのは,たまたま印字が大きくずれただけなのかもしれない。しかし,製造時期によるデザインの工夫の可能性もある。出品されていた佐和式露出計算尺の細部を比較してみたところ,裏面のフィルムに関する係数表の内容に差があることが確認できた。
佐和式露出計算尺では,季節や天候,時刻などによる明るさの差や,被写体の状況などに「係数」という値が設定されている。それらの係数を加算していくことで,基準になる露光条件を決められるようになっている。その計算をするための道具として,佐和式露出計算尺がつくられている(2022年2月6日の日記を参照)。フィルムの係数は,フィルムの感度の差をあらわしているものであると考えればよい。フィルムの係数については,値が小さいほど高感度のものである。
佐和式露出計算尺の初期型のうちパテント番号が2つ記されているものは,現在,もっとも見つかりやすいタイプのモデルであると思われる。そのため,Webを検索すると,細部まで確認できる画像を見つけることが可能である。そこで,(1)このたびインターネットオークションに出品されていたもの,(2)Webで見つけたもの(*1),(3)手元にあるもの(上図)の,3種類の係数表を比較してみた。
佐和式露出計算尺 フィルムの係数表(係数-1/2〜1/2)
係数 | (1) | (2) | (3) |
-1/2 |
アグファイソパンISS 20DIN コダックスーパーXパン |
|
アグファイソパンISS 20DIN コダックスーパーXパン |
-1/4 |
デュポンスーペリオァ 35ミリ イーストマン SSパン イーストマン 50 イルフォード HSパン |
デュポンスーペリオァ 35ミリ イーストマン SSパン イーストマン 50 イルフォード HSパン |
アグファイソパンISS 19DIN デュポンスーペリオァ 35ミリ イーストマン SSパン イーストマン 50 イルフォード HSパン |
0 |
アグファイソクローム18DIN さくらクローム |
アグファスーパーパン 18DIN アグファイソクローム18DIN さくらクローム |
アグファイソクローム18DIN フジ ネオクローム |
1/4 |
アグファイソパン微粒子17DIN パナトミック ロール及びパック フジ ポートレート アグファイソパンF 35ミリ |
アグファスーパーパン微粒子F パナトミック ロール及びパック オリエンタルSS |
アグファイソパン微粒子17DIN パナトミック ロール及びパック フジ ポートレート アグファイソパンF 35ミリ さくらクローム さくらFパンクロ |
1/2 |
エペムノースクリン500 パナトミック35ミリ イルフォードSGパン オリエンタルSS オリエンタルスーパークローム |
アグファイソパンF 35ミリ エペムノースクリン500 フジ ポートレート オリエンタルスーパークローム パナトミック35ミリ イルフォードSGパン |
パナトミック35ミリ イルフォードSGパン |
ほぼ同じような内容に見える表であるが,並べてみると違いも明確に見えてくる。3つの表すべてに共通で記載されている銘柄がある一方で,1つの表にしか記載がない銘柄もある。その違いを利用して,発売時期の前後関係が推定できそうである。
3つの表を比較してもっとも目立つ特徴として,(2)には係数が-1/2のフィルムが記載されていないことがある。発明されたばかりのダゲレオタイプでは,撮影に数10分以上の時間がかかったとされている。その後,乾板が流通しはじめたころには,動くものも写しとめられるようになった。1980年代以降は,つぎつぎに高感度のフィルムが発売されたこともあった。単純に,フィルムの進歩の1つに,高感度化があることは間違いない。そういう考えにもとづくと,係数-1/2のフィルムがまだ発売されていない(2)が,この3つの表のなかではもっとも古いものであると考えられる。
係数1/4では,(1)と(3)には「アグファイソパン微粒子17DIN」が記載されているのに対し,(2)にはそれがなく,かわりに「アグファスーパーパン微粒子F」が記載されている。国立国会図書館デジタルコレクションを検索すると,「アグファイソパン微粒子」は1936年の書籍に掲載があるのに対し,「アグファスーパーパン微粒子」の記載がある書籍は1935年のものである。また,「アグファスーパーパン」は1933年から見られるのに対し,「アグファイソパン」が見られるのは1936年以降であった。それぞれの新発売を伝えるような記事は見つけられていないが,「スーパーパン」より「イソパン」のほうが後の製品であることがうかがえる。そのため,この3つの表のうちでは,(2)がもっとも古いと考えてよさそうである。
(1)と(3)については,(3)のほうが後のものであると判断する。判断した理由としては,「さくらクローム」が(1)と(2)では係数0であるのに対し,(3)では係数1/4になっていて,表の見直しがされた形跡があることや,「エペムノースクリン500」という乾板が(3)には記載されていないことなどがある。また,「アマチュア写真講座 第1巻」(佐和九郎,アルス,1936)に「フィルム・乾板の係数(昭和11年9月改訂)」(*2)というものが掲載されており,(3)の内容はその一部を省略したもののようである。そのため,(3)の発売は,1936年9月以降であるとも判断できそうである。初期型のうちパテント番号が2つ記載されているモデルは,1935年8月ころ以降のものであると推定できること(2024年7月5日の日記を参照)とも整合している。
これらをまとめると,「アグファスーパーパン微粒子」の記載があるAは,1935年8月ころのものと考えることができる。Bは,「フィルム・乾板の係数(昭和11年9月改訂)」を採用しているようなので,1936年9月以降のものと考えることができる。そして,Bよりは前で,Aよりは後に発売されたと思われる@の発売は,1936年の前半であったとすれば,この流れも整合がとれることになる。
そうすると,1935年8月ころから1936年9月ころのおよそ1年間に,係数表の改訂が2回おこなわれ,3種類のモデルが存在することになる。これだけ頻繁に改訂があると,改訂前の露出計を買った人へのフォローが気になるところだが,1936年2月ころには係数表の改訂サービスが用意されていたらしいことが雑誌の広告からわかる。(*3)
*1 ARS 佐和式露出計算尺 (計算尺愛好会)
→http://www.keisanjyaku.com/sliderule/ars/ars.html
*2 「アマチュア写真講座 第1巻」(佐和九郎,アルス,1936) (国立国会図書館デジタルコレクション)
→https://dl.ndl.go.jp/pid/1223064/1/121
*3 「カメラ」1936(昭和11)年2月号(アルス) (国立国会図書館デジタルコレクション)
→https://dl.ndl.go.jp/pid/1501814/1/22
※「佐和式露出計算尺」の広告下部に「乾板フイルム係数表(昭和十年十一月改訂)御希望の方は郵券二銭添付御申込次第送呈致します」とある。この種の案内が掲載されたのは,この号あたりからのようである。