撮影日記


2021年12月29日(水) 天気:雨

戦前型の関式サロン露出計(丸型)

お送りいただいた「関式サロン露出計」UB型およびVA型の本体および取扱説明書は,いずれお返ししなければならないものである。同様に,いずれお返ししなければならないものとして,「関式サロン露出計」の丸型のものも含まれていた。並べてみると,丸型のものは,角型のものよりひとまわりコンパクトであることがわかる。

この丸型のものについては,取扱説明書がないので正しい使い方が確認できていない。それでも,関式サロン露出計UB型と同じように考えることができそうである。
 まず,感光度と天候をあわせることになる。ついで,被写体名と光度計数をあわせる。このときの,各絞りに対するシャッター速度を参照すればよさそうである。感光度はDINであらわされているので,ISO 100(ASA 100)に相当する,DIN 21°で晴天の条件とした。裏面の光度計数表を参照すると,西日本における12月のお昼前後の光度計数は1であることが確認できる。すると,絞りがF8でシャッター速度が1/200秒となる。これは,先に試した関式サロン露出計UB型よりも少し違った値であるが,こちらのほうが妥当であると思える。

丸型の関式サロン露出計は,裏面に記載されている光度計数が特徴である。ここでは,地域がつぎのように3つに区分されている。

  • 北緯20°〜30°:地域名としては「台湾〜薩南大島,南支那」と記されている。
  • 北緯30°〜40°:地域名としては「九州〜東京〜秋田・岩手縣,朝鮮南部・中支那・北支那」と記されている。
  • 北緯40°〜50°:地域名としては「青森縣〜北海道〜南樺太,朝鮮北部・満州國」と記されている。

製品に,台湾,南樺太,朝鮮,満州国などの地名が使われていることから,この製品は昭和10年代のものだと考えられる。そのころの「アサヒカメラ」で「関式サロン露出計」の広告をさがしてみると,昭和12(1937)年8月号,昭和13(1938)年6月号には掲載がないが,昭和14(1939)年5月号には広告がある。そのため,「関式サロン露出計」は,1938年後半から1939年はじめころに発売されたものと考えてよさそうである。

当時,この種の露出計算盤は,どのように受け入れられていたのだろうか。たとえば,「寫眞入門」(吉川速男,アルス寫眞文庫,1939年)では,「やゝ進歩した器具として作られたものが露出計と云ふもの」であるとして,「佐和式露出計算尺」「サロン露出計」「キング露出計」という商品名が例示されている。さらに,「なほいっそう進歩せしめて半ば自動的に露出を見出さうとつとめたもの」として,電気露出計の存在も紹介している。しかしながら著者は,これらの機器を使わずに経験による勘で問題ない露出を決められるようになることを理想としているようだ。つまり,「俺が露出計だ」になれ,と仰せなのである。
 そういう時代だったから,関式サロン露出計のような計算盤式露出計という一連の商品群は,一般のユーザには最新の科学技術の成果だと受け止められていたのではないだろうか。それならば,一定の需要があったのだろうと想像できる。だからこそいまでも,それなりの数の商品が,流通しているのである。
 また,この書籍の奥付に記載された日付は,「昭和14年8月5日印刷,昭和14年8月8日発行」である。関式サロン露出計の発売時期を1938年後半から1939年はじめころであると考えれば,問題なく整合する。

なお,「関式サロン露出計」が写真関係の書籍を発行する玄光社から発売されたのに対して,「佐和式露出計算尺」は同様に写真関係の書籍を発行するARS(アルス)から発売されている。そのアルスが発行する書籍の文中で「佐和式露出計算尺」を先頭に紹介しているのは,自社が扱っている製品だから,当然のことなのだろう。

ところで,「アサヒカメラ」で広告をさがしているとき,気になるものを1つ見つけてしまった。昭和16(1941)年4月号の「関式サロン露出計」の広告で,「待望の新型完成」という文言が使われているのである。これは,戦前の丸型にもいくつかのバージョンがある,ということを示しているのではないだろうか。少なくとも丸型には,戦後のサマータイム対応版があることがわかっている。関式サロン露出計には,いったいどれだけの種類(バージョン)があるのだろうか,謎は深まる一方であった。


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