撮影日記


2021年12月19日(日) 天気:雨のち曇

濃度式露出計の実用性は

きれいな写真を撮るためには,適切にピントを調整し,適切な露出を与えなければならない。ピントについては,ぱっと見ただけで,被写体までのおおよその距離がわかる。さらに正確な距離を知りたければ,巻き尺などを使って測ることもできる。一方の露出については,ぱっと見ただけで適切なシャッター速度(露光時間)と絞りとの組み合わせがわかるようになるには,それなりの慣れが必要である。とはいえ,現代のカメラには,明るさを電気的に測定する,電気露出計が内蔵されているのがふつうなので,実際の撮影で困ることはない。
 電気露出計は,1930年代に市販されるようになった。それでも当初は高価であり,広く使われるようになるのはずっと後のことになる。
 それでも,適切な露出の基準を知りたいと考えるのは,当然のことである。たとえば,フィルムのパッケージには,晴天時,曇天時などにおける露出の目安が示されていたことがある(2021年9月20日の日記を参照)。また,そのような露出の目安をもう少し詳しく,細かく分類したものが,「アサヒカメラ」などの月刊誌に掲載されていたこともある(2018年11月26日の日記を参照)。こちらは月刊誌という特性を活かし,その月の,何時ごろの,どんなシチュエーションという条件も加えて,露出の基準が示されている。これを,星座早見表のように円盤状にまとめたものが,「関式サロン露出計」などの,計算盤式露出計になる(2021年10月20日の日記を参照)。計算盤式露出計を使えば,さまざまな季節,時刻,シチュエーションにおいての露出の基準を知ることができる。しくみも単純で,価格も安いという点は,魅力が大きい。電気露出計が普及する以前には,計算盤式露出計が一定の普及を見せていただろうことは,現在でも中古品などとして,それなりの数の当時のものが流通していることからも,うかがえる。
 電気露出計,計算盤式露出計のほかに,濃度式露出計あるいは光学式露出計とよばれるものもあった。これは,濃度の異なるいくつかの数字が書いてあり,「ぎりぎり見える数字を読み取る」ことで,露出の基準がわかる,というものである。ずっと以前に入手した,KW社のPILOT Superというカメラ(2000年6月29日の日記を参照)に,この濃度式露出計が内蔵されていた。これは,窓の中に見える濃さの違う1から8までの数字のうち,ぎりぎり読み取れるものを,カメラの側面にある対照表にあわせて露出を決める,というものである。ただ,この濃度式露出計の実用性については,疑問をもたざるをえない。なぜならば,「ぎりぎり見える」という感覚が,よくわからないのである。ぎりぎり見える数字がどれか読み取るのは,思ったよりも難しいものである。
 PILOT Superに内蔵された濃度式露出計は,いわば「おまけ」である。では,濃度式露出計として,単体で販売されていたものならば,もう少し,使えるものなのではないだろうか,と考えた。そこで,以前はよく利用していた海外通販のお店を参照すると,濃度式露出計の出品がたくさんある。久しぶりに,ここからいろいろ取り寄せてみようと考えていたとき,いつもたいへんお世話になっている人から,大きな荷物が届けられた。そのなかに,接眼部分が欠けているものの,濃度式露出計が含まれていたのである。

Practos Juniorという名称で,Made in Germanyの濃度式(光学式)露出計である。鏡胴は引き出すことで伸縮し,視度を調整できるようになっている。この点は,高く評価できる。接眼部から覗くと,数字が円周上に並んでいるのが見える,数字は時計回りに,だんだんと明るく見える。ここから,ぎりぎり見えるものを読み取ることになる。

鏡胴のダイアルをまわして,読み取った値を,使用するフィルムの感度にあわせる。フィルムの感度は,ISOではなく,DINやASAでもない。H&D(ハーターアンドドリフィールド)とScheiner(ドイツ・シャイナー)のスケールなので,換算が必要である。それだけで,もう,現代では実用性に大きな問題が生じる。

屋外で,この濃度式露出計を覗いてみた。ぎりぎり見えるという感覚が,よくつかめない。それでも「1/25」という数値までは,なんとか見えてきた。ISO 100は,ドイツ・シャイナーでの32に相当するらしいので,ダイアルを回して「1/25」を°Scheinerの「32」にあわせる。そうすると,1/100秒でF6.3が基準であるということになった。今日はあまり明るい日ではないから,こんなものかもしれない。しかし,これでは少々,露出オーバーになるような気もする。
 ともかく,なんども繰り返すことになるが,「ぎりぎり見える」の正しい感覚が,つかめないのである。暗いところでは,しだいに目が慣れて,見えなかったものも見えてくるようになるものである。「ぎりぎり見える」のはどこか,考えているうちに目が慣れてきて,見始めたときには見えていなかった数字も,見えてくるようである。この感覚をつかむのに「慣れ」が必要だというならば,そもそも露出計を使わなくても,「慣れ」でなんとかなるのではないだろうか。
 そういう面では,濃度式露出計よりも,計算盤式露出計のほうが,実用性が高い,ということになりそうである。


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