撮影日記


2010年05月26日(水) 天気:くもり

道標(みちしるべ)

江戸時代の街道には,旅人のために「道標(みちしるべ)」があった。そんな話を聞いたのは,小学校低学年のころだったと思う。そのときの教科書かなにかには,さらに,「自宅の近くにみちしるべが残っていないかどうか調べてみよう」のようなことも書いてあった気がする。しかし,古い街道というものが自宅のすぐ近くを通っていたわけでもないから,まったく自分には関係のないものと思っていた。だから,自宅の近くに「みちしるべ」を見つけたときは,たいへんうれしく感じたものである。たぶんこの体験が,私が「古いもの」に対して興味をもつきっかけになったのではないかと思う。
 ただ,見つけた「みちしるべ」は,決して江戸時代のものではない。なぜならその「みちしるべ」が示す行き先には,「でんしゃのりば」と記されているのである。これが示す「でんしゃ」は1914年に開業した阪堺電気軌道(のちの南海平野線)であり,この「みちしるべ」はおそらく大正時代のものなのだ(*1)。

大阪都市工学情報センターが発行する「大阪人」という雑誌がある(*2)。「大阪人 2010年6月号」の特集は「東住吉感謝祭」がテーマ。冒頭の見開きには,東住吉区内で見られる光景が,コラージュのように多数並べられている。そのなかには,特徴的なものもあれば,一見するとどこにでもありそうで,その地域にずっと住んでいなければ気がつかないようなものもある。記事では,東住吉区の名所?として,たとえば「長居公園」,たとえば「駒川商店街」などが紹介されている。
 さらに,古来より小児鍼で有名な「中野鍼灸院」(*3)も紹介されていた。この「みちしるべ」は,「中野鍼灸院」と南海平野線の中野駅とを結ぶ道に設けられたものである。したがって,「みちしるべ」の「でんしゃのりば」と記されているのと反対側には,「はりみち」と記されているのである。
 そんな記事を読んでいると,ちょうど昨年,セミネッターの試運転を兼ねてこの「みちしるべ」を撮影したことを思い出した。さっそく,ネガを引っぱり出してプリントしてみた。

ZEISS IKON NETTAR (515), Nettar-Anastigmat 7.5cm F6.3, NEOPAN 100 ACROS
EL-NIKKOR 75mm F4.5, FUJIBRO WP FM3

「みちしるべ」の左側が「はりみち」だが,「はりみ」までしか文字が見えない。右側が「でんしゃのりば」だが,「でんしゃの」までしか文字が見えない。この「みちしるべ」が建てられたときは,すべての文字が読めたはずだ。おそらく当時の道は,アスファルトによる舗装など,されていなかったことだろう。その後,道が厚くアスファルトで覆われ,「みちしるべ」の下部を隠してしまうことになったものと思われる。私が存在に気がついた「みちしるべ」がこれなのだが,そのとき「でんしゃのりば」の文字がどこまで見えていたのかは,記憶に残っていない。
 さて,この「みちしるべ」が示す「はりみち」の方へ行けば,もう1つ「みちしるべ」を見つけることができる。

ZEISS IKON NETTAR (515), Nettar-Anastigmat 7.5cm F6.3, NEOPAN 100 ACROS
EL-NIKKOR 75mm F4.5, FUJIBRO WP FM3

この「みちしるべ」は,雑誌「大阪人」に写真が載っていたものと同じ「みちしるべ」である。ここでは,右の手前が「でんしゃのりば」,右の奥が「はりみち」となっており,「はりみち」が指すほうに,「中野鍼灸院」が存在する。なお,ここでは「みちしるべ」が影に入っていて見えにくくなっているので,「みちしるべ」が見えやすいように,少し覆い焼きをしている。ちなみに,焼き付けの時間は約10秒,覆った時間は約3秒。
 当然ながら,アスファルトに覆われてしまっている部分は,いくら覆い焼きをしても浮かびあがってくることはない。しかし,1枚の写真は,そこからさまざまな記憶や想像が浮かび上がってくるものなのである。道路が舗装されていなかっただろうころにも,この「みちしるべ」を利用して鍼の治療に訪れた人がいたことなども。

*1 http://www.city.osaka.lg.jp/higashisumiyoshi/page/0000033882.html

*2 http://osakajin.osakacity.or.jp/

*3 http://www.city.osaka.lg.jp/higashisumiyoshi/page/0000033874.html


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