撮影日記


2009年09月20日(日) 天気:晴

なんダ,コラ!

防波堤には,釣り人の姿がちらほら。天気のよい秋の休日,海と空の青い間にむかって,防波堤の先の方へ歩いていった。向こうに見える防波堤にも,釣り人の姿がある。しかし,その防波堤は,陸にはつながっていないようだ。どうやって渡ったのかな?送迎のボートでもあるのだろうか。
 ふと,妙にやわらかいものを踏んでしまった。ん?なんだ,これは?まさか,い,犬の糞……?マナーの悪い人はごくわずかなのだが,その少数の人のために,「犬を飼う人=マナーの悪い人」という公式が頭のなかに組みたてられている人も,少なからずいることだろう。
 ゆっくりと靴の底を覗いてみれば,幸いにも犬の糞ではなく,ほとんどひからびたような小魚である。釣りあげたのはいいが,食べられるほどの大きさでもなく,海にふたたび逃がすには弱ってしまった,などの状況であろうか。見ると,そのような小魚があちらこちらに放置されている。具体的にどんな事情があったのかは知らないが,その場に放置するというのはいかがなものであろうか。「魚釣りをする人=マナーの悪い人」という公式が頭のなかに組みたてられるのも,時間の問題か?

DACORA dignette, DIGNAR 45mm F3.5, DNP CENTURIA100
DACORA dignette, DIGNAR 45mm F3.5, DNP CENTURIA100
DACORA dignette, DIGNAR 45mm F3.5, DNP CENTURIA100

そんな,ちょっとした不快感も,空の青さと海の青さがぬぐいさってくれる。
 カメラを向けて,シャッターを切れば,期待通りの青空が記録された。
 今日のカメラは,昨日の日記で紹介した,DIGNAR 45mm F3.5つきMADE IN WESTERN GERMANYのDACORA dignetteである。このカメラのシャッター速度は,Bのほかには1/25秒,1/50秒と1/200秒の3段階。1/50秒と1/200秒があるのに,なぜかその間の1/100秒がない。だから,こんな天気のよい日には,1/200秒しか使えない。絞りもF11で固定したまま。AEがあると,ちょっとした光に反応して露出がかわってしまうので,こんなときはマニュアル露出が最適である。
 周辺減光が顕著なのは,廉価版レンズの限界ということだろうか。トイカメラ(おもちゃカメラ)マニアの人たちが,「トンネル効果だ」などと言って,喜びそうである。

かつて,カメラといえばドイツ製であった。実際,ドイツからは,ライカやコンタックス(CONTAXではなくContax)などの,高く評価される製品が送りだされている。そのような高級品だけでなく,普及品にいたるまで,さまざまな種類のカメラが生産され,世界中に流通してきたのだから,そういうイメージが定着したのも当然であろう。
 また,輸入品には高い関税がかけられていた。そもそも高級なカメラが,関税によってさらに値段の高いものになる。だから「舶来品」はすべて,高級品。そういうイメージも定着する。そして,性能的に大差ないものであっても,「これは高級舶来品だ」と思えば,愛着もわき,すべてが「よい」ものに思われるはず。ちょっとした思いこみな面があったとしても,こだわりの品にはそういう面も必要である。
 ドイツ製のカメラには,つねにそういうイメージが残っているのかもしれない。また,実際に,性能がすぐれたものも存在する。もしかすると,このDACORA dignetteについても,「さすが,ドイツ製。空の青さがきれいに再現されたね。」なんてことを語りたい人もあるかもしれない。
 ただ天気のよい日に順光で写せば,よほどの粗悪品でもないかぎり,きれいに写るものなのだ。だから,「ドイツ製だからきれいに写った」のかどうかを判断することはできない。

第二次世界大戦後の日本では,カメラが輸出商品として奨励されるような動きがあった。ニコンやキヤノンのような高級品だけでなく,今となってはどこのどういうメーカーが作ったのかわからないような廉価なスプリングカメラや二眼レフカメラに至るまで,さまざまなカメラが作りだされ,輸出されてきた。
 「カメラ総合カタログ vol.1」(1960年)に掲載されている,「アメリカに輸出する日本と西独のカメラの比較(米国国務省の発表による)」によれば,1954年に日本が332,575個,西ドイツが229,126個で,これ以後,日本の方が数が多くなっている。「アサヒカメラ年鑑1958年」には,「アメリカのカメラ輸入」というデータが掲載されており,1957年8月に日本が590,149ドル,西ドイツが558,788ドルで,輸出金額でも日本がドイツを追い抜いている。これは日本製のカメラが当時の大市場であるアメリカにおいて受け入れられていったことを示しているわけだが,最初は台数ベースで,後には金額ベースでも上回ったことは,当初はおもに普及品が受け入れられていたのが,後には高級品も受け入れられるようになったことを示していると考えられる。


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