撮影日記


2009年05月16日(土) 天気:くもり時々あめ

「MIOJ」(Made in Occupied Japan)は歴史の証人

現在,世界的に見ても,「カメラ」といえば「日本製」(日本のブランド)といえる状況であることに,異論を挟む人はないだろう。しかし,かつては「カメラ」といえば「ドイツ製」(ドイツのブランド)という状況であった。
 ドイツ製カメラよりも日本製カメラの方が主流になったのは,第二次世界大戦後,1960年代以降のことである。その背景には,カメラの主流がいわゆるレンジファインダーカメラから一眼レフカメラに移行したことがあると,指摘される。
 ドイツの「ライカ」や「コンタックス」といういわゆるレンジファインダーカメラは,登場以来,世界中で高級・高性能の小型カメラとして重宝されてきた。第二次世界大戦中にライカを入手しにくくなった国では,自国でライカを模倣したカメラを製造し,多くの国でレンジファインダーカメラが製造されるようになった。そのようななかで,戦後,1954年に発売された「ライカM3」は,他社のカメラを寄せつけない高性能・高品位のカメラとして,高く評価された。
 「ライカM3」を見た日本のメーカーは,「もうレンジファインダーカメラでは勝負できない」として,開発の主軸を一眼レフカメラに移すようになった。一方,「ライカ」や「コンタックス」というレンジファインダーカメラを開発の主軸にしていたドイツのメーカーは,一眼レフカメラの開発に乗り遅れた。・・・・ということが,よく語られるているようである。

さらに,第二次世界大戦後のドイツが,アメリカを中心とする勢力に占領された地域(西ドイツ)とソ連を中心とする勢力に占領された地域(東ドイツ)とに分割されたことでメーカーの体力が奪われた,という背景が存在することも指摘される。光学関係の大企業であったカール・ツァイス財団が分割されてしまったことが,とくに大きく影響するとされているようだ。

Enna Sandmar 35mm F4.5 (アーガスC3用)
Sandmar 100mm F4.5とSandmar 35mm F4.5 (いずれもフードをつけた状態)
「Made in Germany US-Zone」「Enna-Werk Munchen U.S.Zone Germany」

アメリカを中心とする勢力に占領されている間にドイツで生産された製品には,「占領下のドイツである」ことを示す表記が見られる。
 上の画像は,エンナ社によるアーガスC3用交換レンズ「Sandmar 35mm F4.5」と「Sandmar 100mm F4.5」である。「Sandmar 35mm F4.5」には「Enna-Werk Munchen U.S.Zone Germany」という表記が,「Sandmar 100mm F4.5」には「Made in Germany US-Zone」という表記が見られる。

Ihagee Exa
(装着しているレンズは,プリセット絞りのCarl Zeiss Jena Tessar 50mm F2.8)
「U.S.S.R. OCCUPIED」

ソ連を中心とする勢力に占領されている間にドイツで生産された製品にも,「占領下のドイツである」ことを示す表記がなされていたようだ。
 上の画像は,東ドイツ製の「エクサ」というカメラである。イハゲー社によるこのカメラの貼り革には,「Made in Germany」という文字が刻まれているが,その上に「U.S.S.R OCCUPIED」と読める白い文字がある。この文字は,スタンプで押されただけのようにも見え,そのうち消えてしまいそうだ。1つの歴史の証人?でもあるだろうから,消えないように気をつけたい。この「U.S.S.R. OCCUPIED」という文字は,あとから書き足したようになっているわけだが,そこにはどういう事情があるのだろう。そのあたりの事情までは,聞いたことがない。
 なお,「U.S.S.R.」の部分は,「S.S.S.R.」と書いてあるようにも見える。ソ連をあらわす英語での表記は「USSR」(Union of Soviet Socialist Republics)だが,ロシア語(キリル文字)での表記は「СССР」でラテン文字では「SSSR」となる。どちらにしても,「ソ連占領下」をあらわすことに違いはない。

今日,友人に,1台のカメラを譲っていただいた。

Canon II-B
(装着しているレンズは,ソ連製I-61 53mm F2.8)

「キヤノンII-B」というカメラである。(*1)
 キヤノンは,1935年ころから,連動距離計付きファインダーをもつ35mmカメラ(いわゆるレンジファインダーカメラ)を製造,販売してきた。当初,付属していたレンズは,日本光学製の「NIKKOR」レンズであったことは,よく知られているだろう。そのころのレンズマウントは独自規格のものであったが,1949年に発売された「キヤノンII-B」から,レンズマウントはライカと共通の規格のものに変更された。
 この「キヤノンII-B」の底面には,このような表記がある。

「MADE IN OCCUPIED JAPAN」

「MADE IN OCCUPIED JAPAN」,すなわち「占領下の日本」ということを示している。この時代,輸出のための製品に義務付けられていた表記とのこと。このような文字を製品に刻むことは,そのころの人たちにとってそうとうな屈辱だったものと想像する。
 「MADE IN OCCUPIED JAPAN」の表記がなされた製品は,「MIOJモノ」とよばれることがある。「MIOJモノ」は,ごく限られた期間に製造されたものなので,流通する数から見れば貴重な存在であるといえる。一方,敗戦後の混乱が十分に収まりきらなかった時代であろうから,製品の性能や品質は,その前後の時代につくられたものにくらべて,けっしてよいものではないだろう。
 それでもこれは,1つの歴史の証人として,ぜひ手もとに保管しておきたいものなのである。
 「MADE IN OCCUPIED JAPAN」は,たとえば,こんなところにも見られる。

Ricohflex III用ケース
「MADE IN OCCUPIED JAPAN」

これも友人に譲っていただいたものであるが,実はいまのところ,この革ケースだけで,中身がない(笑)。ここに入るべきカメラは,「Ricohflex III」。第二次世界大戦後の日本での「二眼レフブーム」の嚆矢である,歴史的意義の高いカメラだが,「歴史の証人」として意味合いももっている重要な製品なのである。「よい出会い」があることを,私はのんびりと待っている。

*1 http://www.canon.co.jp/Camera-muse/camera/film/data/1933-1955/1949_2b.html


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