撮影日記


2007年12月31日(水) 天気:曇

2008年にやってきたカメラたち

今年も,いろいろなカメラと出会い,カメラや写真でいろいろな遊びを楽しんだ。1年の終わりにあたって,それらを軽く振りかえってみようと思う。

今年は,中判カメラが充実した年になった。
 中判一眼レフカメラに手を出したことが,とくに大きなできごとだったと言えるだろう。中判一眼レフカメラには,以前から大いに興味があった。一眼レフカメラという形態は,あらゆる場面においてたいへん使いやすいものである。それは間違いない。そこに,ライカ判よりも大きな画面という魅力が加わるのである。ほんとうに写真というものが好きならば,中判一眼レフカメラに魅力を感じない人は,ほとんどいないことであろう。

私が,中判一眼レフの導入をためらってきたのは,それが大きいからという理由でもなく,高価だからという理由でもない。もちろん,ライカ判のカメラにくらべれば,中判一眼レフカメラは巨大である。されど,カメラはよほど携帯性を重視しなければならないときを除けば,ある程度の大きさがあった方が使いやすいのである。また,大判カメラ等にくらべれば,中判カメラは携行性がよいように考えられている。大きいことは,たいした問題ではない。
 高価だから,という理由は,たしかに無視できないものがある。されど,本気で使うことを目的としたシステムに対しては,それなりの出費が必要なのはしかたがない。問題は,それなりの出費をして中判一眼レフカメラを導入したとして,それを私が本気で使うかどうか,ということにある。
 なぜ,中判一眼レフカメラを本気で使わない可能性があるのか?その理由は,私あこれまで,マミヤプレスを使って6×9判で写真を撮ってきたことにある。原版は少しでも大きい方が,プリントをするときの画質面で絶対的に有利だ。現代的な中判一眼レフカメラには6×9判のものがなく,おしなべて6×7判以下なのである。わざわざ高い出費をして,原版のサイズを小さくする必要があるのか?と考えると,中判一眼レフカメラにはなかなか手を出せないでいたのであった。

だから,中判一眼レフカメラでも,とくにセミ判(6×4.5判)のものには,興味が向かないのであった。そんななかでも,マミヤのセミ判一眼レフシステムには,80mm F1.9という中判カメラ最速レンズがラインアップされていることなどの理由で多少は興味があったが,ペンタックスやブロニカのセミ判一眼レフカメラには,まったく興味を持てないでいたのである。
 そんなときに,このカメラと出会ってしまった。

「ゼンザブロニカETRS」,そう,もっとも興味のもてなかった,ブロニカのセミ判一眼レフカメラである。詳しい入手の経緯は2008年3月25日の日記をご参照いただくとして,ここでは要点だけ述べるにとどめるが,レンズやフィルムバックなども含めた一式揃って4320円という安価な価格が,入手の理由である。もちろん,それなりに問題のあるジャンク品であるが,現在でも問題点に気をつけて使えば,ちゃんと写真を撮ることができるものである。
 単に「安いから」というだけの理由で入手したカメラであるが,「一眼レフカメラという形態の便利さ」をあらためて教えてくれるには十分なものである。その結果として,さらに大きなフォーマットの一眼レフカメラがほしくなるというもの。まもなく6×7判の「マミヤRB67 ProS」との「よい出会い」に恵まれたのだ。そのあたりの経緯は,2008年6月22日あたりの日記をご参照いただきたい。

RB67は,やはりそれなりに大きなカメラである。これは,「セミ判一眼レフカメラがたいへんコンパクトなカメラである」ことを,あらためて認識させてくれるカメラともなったのである。

このほかにも,初代「マミヤプレス」をきわめて安価に入手することができた(2008年2月5日の日記を参照)。
 マミヤプレスシリーズは,交換レンズも豊富で,6×9判の撮影がお手軽にできるシステムとして魅力的なカメラだ。これまで私が使ってきたマミヤプレスは,「新プレス」とも呼ばれることのある,最終モデルの「ユニバーサル」ブラックボディと,後部アオリの使える「スーパー23」の2種類である。このとき入手した,初代「マミヤプレス」は,私にとってはじめての「旧プレス」である。「旧プレス」は「新プレス」にくらべてコンパクトなボディなので,手もち撮影を前提に持ち出して使ってみたこともあった(2008年11月18日の日記を参照)。

今年は,普及価格帯にも,ライカ判サイズの撮像素子をもつディジタル一眼レフカメラがラインアップされるなど,ディジタルカメラの充実がますます感じられる1年だった。その一方で,インスタント写真の代名詞とも言えたポラロイドが,インスタントフィルム全製品の製造・販売を終了することを発表した(2008年7月17日の日記を参照)。その影響もあって,何台かのポラロイドカメラをジャンクコーナーから救出したのも,私のなかでは1つの大きな出来事として位置づけられる。
 なおポラロイド社については,年末近くになって米国連邦破産法第11章の適用申請をおこなった報道もあった。ただこれは,ポラロイド社の営業がただちに停止するというようなものではないとのこと。(*1)

各社とも,フィルムのラインアップが縮小傾向にあり,同時に値上げの傾向も顕著になっている。また,現像処理等の値上げも見られる。だんだんと,フィルムを使いにくい環境になっているとみなすこともできるのだが,これだけディジタルカメラが普及しながら,まだ,「少し値上げしただけ」でフィルムを使える環境が残っていることは,とてもありがたいことだとも考えている。
 フィルムさえあれば,50年前のカメラでも,問題なく写真を撮ることができる。今年は,ダイソーが100円で現像するサービスの受け付けをこっそり終了させてくれたおかげで,カラーネガフィルムの自家現像にもチャレンジする気になった。それによって,フィルムを切断するなどして,いまは市販されていない規格のフィルムを使うカメラでもカラーフィルムが使えるようになったりもした(2008年10月16日の日記を参照)。
 メーカーさんにこれからもフィルム等の製品や,現像サービス等を供給しつづけてもらうためには,写真を楽しむ者はこれまで同様にフィルムを使った写真を楽しむことがたいせつになるであろう。

さいごに。

今年も,「撮影日記」をご愛読くださった皆様には,厚く御礼申しあげたい。また来年も引き続きご愛読のほど,お願い申しあげ候。

*1 http://www.polaroid.co.jp/aboutpola/press/081219.html


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