撮影日記


2008年10月16日(木) 天気:晴

ふたたびTENAXに挑戦

この前,ゲルツ・テナックス (C.P.Goerz, Vest Pocket TENAX)での撮影に失敗したのは,フィルム装填がきちんとできていなかったからにほかならない(2008年10月13日の日記を参照)。現在,アトム判のフィルムは市販されていない。そのため,TENAXで使うフィルムは,より大きなフィルムから切り出して作る必要がある。4×5判などの厚いシートフィルムから切り出せば,多少サイズがラフであっても支障なく撮影できたものの,今回のように120ロールフィルムから切り出す場合は,可能な限りきっちりしたサイズに切り出さなければ,フィルム装填がうまくいかない。
 フィルムを切り出す作業は,暗室内でおこなう。セーフライトなどが使えないので,手さぐりで作業しなければならない。そこで,型紙を作り,それに沿って切り出すことになるのだが,その型紙を何度か作り直し,ようやく,きっちりした大きさのフィルムを切り出せるようになった。
 このフィルムを用いて,撮影のやり直しである。

Vest Pocket TENAX, Dogmar 7.5cm F4.5, PORTRA 160VC

ということで,いちおう成功♪
 なお,現像には,「LPLカラーネガフィルム現像キット」(2008年10月4日の日記を参照)を使用している。「ナニワ カラーキットN」は,まだ開封していない。

さて,前回までは,4.5cm×6.1cm (なぜこのサイズにするのかは,2008年10月13日の日記を参照)に切り出した厚紙を型紙として,フィルムをカットしていた。この場合,暗黒中でこの作業をするのだが,どうしても微妙に型紙の位置がずれてしまうようだ。もしかしたら,フィルムがカールしていることも影響しているのかもしれない。ともあれその結果,フィルムホルダにうまく入らないものになる。
 そこで今回は,大きな厚紙に4.5cm×6.1cmの窓をあけたものを型紙とし,それでフィルム全体を抑えながらフィルムをカットすることにした。これだとフィルムが多少カールしていても,フィルムを抑えたままにできるので,カットしやすい。早速,試しに,この型紙を利用し,ふつうの紙を切り抜いて乾板ホルダに装填してみたところ,微妙に大きくてうまく入らなかった。少しずつ大きさを変えながら,いくつか型紙をつくり,ようやく納得できる結果を得られるものができた次第。窓の大きさを4.5cm×6.1cmちょうどにしたつもりでも,型紙を切り抜く際に微妙に大きさがずれてしまうのかもしれない。
 今度は,窓の裏に「ガイドレール」のようなものを設けて,もう少し楽にカット作業ができるようにしたいものである。

ところで,今のところ,TENAXで使える乾板ホルダを1枚しかもっていない。暗室でフィルムを切り出して装填する必要があるため,1回出かけるたびに1枚しか撮影できない。次のコマを撮るためには,いったん帰宅しなければならないのだ。
 たいへん,面倒である。
 しかし,今のところ,現像が一度に1枚しかできない。道具を工夫すればいいのだろうが,120フィルム用ステンレスリールにカットしたフィルム1枚をはさみ,ステンレスタンクで現像するというやりかただと,安全に処理できるのはやはり一度に1枚だけであろう。
 だから,TENAXで撮影するのは,せいぜい1日1枚。これでいいのだ。TENAXが売られていた当時,フィルムなどはきっと高価なものだったはず。1日のうちで,どうしても撮っておきたい1枚だけを,大切に大切に撮っていただろう。湯水の如くフィルムを消費できたのは,きっとお金持ちだけだったはずだ。
 いや,もしかすると,そのころカメラを買えるような人は,お金持ちばかりだったのかもしれない。たとえTENAXが廉価版のカメラだったとしても・・・・。

ところで。

「ディジタルカメラを使うと,写真がうまくならない」という意見を述べる人がある。その理由としては,「RAWデータは,あとからかなりの補正ができるので,露出を気にする必要がない」ということをあげ,それに加えて「フィルム代というコストも気にせず,無意味にたくさん撮るから」ということを指摘しているケースが多いようである。なるほど,それは一理ある。
 しかしながら,露出はRAWデータを補正することである程度は救えるが,ピントについては救いようがないこと,ましてや,被写体の選択や構図の組み立てなどについては,ディジタルカメラといえども決して助けてはくれないことを指摘し,「ディジタルカメラでたくさん撮って構図を研究する」「コストを気にせずたくさん撮れるので,ディジタルカメラの方が写真がうまくなる」という意見を述べる人もある。なるほど,それも一理ある。
 少し前なら,「フィルム」と「ディジタルカメラ」の部分を,「マニュアル」と「オート」に変えて,似たような意見の応酬がよく見られたものだ。趣味の世界で一家言をもつ人どうしが,意見の応酬を楽しむことは,古くから変わらないことなのである。さて,それより前の時代なら,「現像は自分でする」と「現像はラボに依頼する」という内容で,似たような意見の応酬があったのかもしれない。さらには,「シートフィルムを1枚ずつ使い,被写体を一発で仕留める」と「ロールフィルムを使って,さまざまな場面を撮る」という内容で,似たような意見の応酬があったとしてもおかしくない。さらにその前は,「カメラ」も「感材」も自作すべしか否か?

ところで私は,TENAXで撮るときには「1枚ずつフィルムを切り出し」て,「1枚ずつ自分で現像し」ている。写真がうまくなりたいから,このような面倒なことをしているのではない。今のところ,こうするしか方法がないからである。
 こういう面倒を楽しむことも,古いカメラを使うことの楽しみの1つなのだ。
 うん,きっとそうだ,そうに違いない。


← 前のページ もくじ 次のページ →