撮影日記


2008年06月02日(月) 天気:雨

大町駅

昨日の日記の続き。いや,違う。続きではない。昨日の日記で書いた,現代美術館に行った話は,午後のことである。これから書く日記は,その前のこと。2008年6月1日の朝のことである。

広島に鉄道がやってきたのは,JR山陽本線の前身である山陽鉄道の糸崎−広島の区間が開通した1894年のことである。広島駅は,市街地中心部から離れた,当時の大須賀村に設けられた。その後,鉄道は市街地中心部を通らず,市街地の周辺部に沿うように,横川,己斐を経て,西へ延伸されていった。1912年には路面電車(現在の広島電鉄)が,広島駅−御幸橋,紙屋町−相生橋,八丁堀−白島の区間で開業した。路面電車はその後,横川や己斐でも山陽本線と連絡するようになり,山陽本線と市街地中心部とを結ぶ交通網ができあがったことになる。
 広島の市街地は,その後,西へ,東へ,北へと広がっていった。西方面には,山陽本線と広島電鉄宮島線という大量輸送機関が存在したが,北方面,とくに旧・沼田町方面にはバスしかなく,交通網の改善が必要となった。そして,1994年にアストラムラインが開業し,沼田方面と市街地中心部が結ばれるようになった。このとき,アストラムラインと可部線とが交差するところに大町駅が設けられて,乗り換えができるようになった。しかし,アストラムラインと山陽本線が交差するところには,乗り換えのための駅が設けられなかった。
 アストラムラインは開業7年目の2000年度には,営業損益が単年度黒字になった(*1)。しかし,2002年度からはふたたび赤字になっている。広島高速4号線が開通し,沼田方面と市街地中心部とを短絡するバス路線の開業による利用者減少が影響しているらしい(*1)。アストラムラインの利用者の増加と,利便性の向上のために,アストラムラインと山陽本線が交差するところに駅を新設しようという動きもある(*2)ようだが,具体的なものにはまだなっていないようである。

ともあれ現在は,アストラムラインとJRとを乗り換えられる駅は,可部線の大町駅だけという状態である。

可部線の大町駅は,安川の南側,安川の堤防へのぼっていく途中にある。安川の方,つまり可部方面には視界が開けているが,逆の横川方面は住宅等が密集している。そのため,安川の堤防からだと写真が撮りやすい。この位置は,夏場の朝に順光になる。可部線の車両とアストラムラインの車両が交差しているシーンを撮るならばこの時期が適切だろうと判断した。昨日,日曜日の朝のことである。夕方くらいから天気は下り坂になるという予報だったが,朝はまだ,すっきりと晴れた空だったのだ。

可部線もアストラムラインもよく見える。
画像は,携帯電話のディジタルカメラ機能による。
きれいに晴れた朝は,気持ちよい。
画像は,携帯電話のディジタルカメラ機能による。

問題は,可部線の列車とアストラムラインが都合よく出会ってくれるタイミングはいつか?ということだ。どうせなら,両者とも運転本数が多くてチャンスが増えると思われる平日の朝がいいのだが,そのような時間はつくりだしにくい。また,よく晴れた朝でなければ,わざわざこの時期の朝に撮る意味が激減する。広島も梅雨入りしてしまったようだから,ぜいたくは言っていられない。
 さて,可部線とアストラムラインの時刻表を見てみると,6:24ころにチャンスがあるように思われた。しかし,6:24ころのアストラムラインは,広域公園前方面行きである。すなわち,ホームの向こう側だ。また,可部線列車も広島方面行きであり,後追いになる。実際,どのようなタイミングで両者は出会うのか・・・・
 それは見事なタイミングで出会ってくれたのであるが,残念ながら取り逃してしまった(笑)。毎回,そのようなタイミングで出会ってくれるのかどうかはわからないが,近いうちにあらためて「一撃必撮」を狙いたいものだ。

*1 http://www.astramline.co.jp/situation18.html

*2  http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1113203702732/


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