撮影日記


2008年03月13日(木) 天気:曇のち雨

「幼」といえども

「便覧」ということばの読みは,「びんらん」あるいは「べんらん」となる。辞書で見てみると,たとえば「見るのに都合のよいように簡便に作ってある」書籍をあらわすことばであることがわかる。
 2008年3月9日の日記に書いたように,アカデミイ書店金座街店で「幼学便覧」という書籍を見つけた。弘化2年の発行ということが示されている。それは厳重にビニル袋でパッケージされているために内容を確認することができない。そこでその内容を書名から想像してみる。まず「幼学」ということばは,辞書で見てみると,「幼いときの学問」という意味のあることがわかる。「幼学便覧」という書名はすなわち,「子どもが知っておくべき知識をまとめた本」であることをあらわしているわけだ。ただし,ここでいう「幼いとき」というのが,何歳くらいを指しているのかはわからない。実際には年齢に関係なく,かなりの教養を要求する内容かもしれない。しかしその書名からは,それが「教科書のようなもの」と思われるため,少々気になるのだ。
 その後,少しネット上で検索をしてみた。どうやら「漢詩の入門書」らしいことが判明。ネット上にあった古書の通信販売のリストにも何件か載っていたが,いずれも天保から慶応年間にかけて発行されたものであることが示されている。江戸時代末期の年号は,文政,天保,弘化,嘉永,安政,万延,文久,元治,慶応とつづき,明治に至る。仁孝天皇,孝明天皇の時代である。こういう時代の漢詩の入門書であれば,その対象はおもに武家の子息ということになるのだろうか?であれば,「幼学」といえども,やはりそれなりの教養をもつ者が対象の書籍なのかもしれない(^_^;
 ともあれ。夕方に市内中心部方面へ出かける用事があったので,ついでにアカデミイ書店金座街店に立ち寄って,結局,購入してしまったのである。

「詩韻碎金 幼学便覧 全」

表紙には「詩韻碎金 幼学便覧 全」とある。「いん」は「詩におりこまれている韻」,「さいきん」は「美しい詩文の字句」をたとえていうことばである。ここでいう「韻」は,「音色」や「発音」に関する意味ではなく,「趣き」「風流」などの意味を指すのであろう。

印刷・発売は弘化2年(1845年)のようである。(官許の天保13年は1843年)

奥付には「天保十三年みずのえ寅官許」「弘化二年きのと巳春はつ」とある。「発兌」は「印刷・発売」の意味である。その右ページの最後には「詩韻碎金幼学便覧巻之下大尾」,また,最初からめくって七十五枚目には「詩韻碎金幼学便覧巻之上」とある。「たい」は「まったくのおしまい」の意味なので,もともと上下二巻で完結する形態だったものを,増刷等に際して合本にして発行したものと想像される。
 また,「序」の最後には,出羽の伊藤馨という人がこの本を記したことが示されている。

目次を見てみると,大きく「春部」「夏部」(巻上),「秋部」「冬部」「雑部」(巻下)という構成になっていることがわかる。そして,各部ごとにいくつもの単語とその意味などが列記されており,ある程度のまとまりごとに例文としての漢詩が紹介されている,という構成になっている。たしかに,漢詩を学ぼうとする者にとって重宝する内容のようで,この本を「漢詩の入門書」であると紹介するのもわかるような気がする。しかし「入門書」とは,もっと根本的な部分から手ほどきしてくれるようなものを指すべきではないだろうか。もっとも,「入門書」のきちんとした定義など存在しないと思うので,あくまでも個人的に違和感を感じる,という程度のことにすぎないわけだが。
 とりあえず「附言」には,次のような意味のことが書いてある(と思う)。

熟字などを参照しやすい本がないというので,その求めに応じて,唐ないし宋の時代の作品から熟語と韻字を選び出してまとめた。題ごとに作例も掲げてあるので,便利に使えるだろう。

ともあれ,この本を眺めていると,己の教養のなさにただただ愕然とするばかりである。これを「幼学」と称することにも,とてつもない重みを感じるのであった。


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