撮影日記


2007年08月09日(木) 天気:晴

「日本カメラショー」
カメラ総合カタログ(1960年版)
を入手

友人に協力いただいたこともあって,「日本カメラショー」の「カメラ総合カタログ」をまとめて5冊,およそ3000円で入手することができた。このなかには,状態がよくないものの,1960年版が含まれている。「日本カメラショー」は,当時の日本写真機工業会加盟メーカー(すなわち,当時のメジャーなカメラメーカーと言い換えていいだろう)のカメラに関する総合的な見本市といえるイベントであり,その総合カタログは,当時のカメラに関する貴重な資料がまとめられたものである。また,このイベントは1960年3月1日から6日まで,東京日本橋の高島屋8階催し物場で開催されたときからはじまっており,1960年版のカタログは,その記念すべき最初のものなのである。

では,さっそく,中身を見てみよう。

最初に,「日本のカメラを育てたもの」という3ページの文章がある。そこでは,日本人はカメラが好きであること,戦後にカメラ工業が急速に発展したこと,その品質が外国でも認められるくらい優秀であることなどが輸出高の変遷のグラフなどとともに示されている。そして,目次につづいてその最初に広告が掲載されているメーカーは,長い間その位置を占めてきた「旭光学工業株式会社」(現・ペンタックス)ではなく,「アルコ写真工業株式会社」であった。つづいて,「株式会社アイレス写真機製作所」があり,PENTAXのカメラが登場するのは3番目だったのである。
 後の日本カメラショー「カメラ総合カタログ」では,各社とも統一的なフォーマットによる紙面となるが,この号では,各社がそれぞれ自由なフォーマットで広告を掲載している。そのため,メーカーによってカメラの仕様の書き方や詳しさに差があって,それぞれのカメラの比較はやりにくいかもしれない。逆に,当時の雑誌等の広告に見られるようなおもしろさを感じることができるというメリットはある。

おもな製品を,ざっと眺めてみよう。
 旭光学では,「ペンタックスS2」とそのブラックボディが掲載されている。交換レンズ(タクマー)をみると,望遠側は1000mm(一覧表には「1メーター」と記載)まであるが,広角側は35mmまでのラインアップとなっている。
 オリンパスでは,「オリンパスペン」が大きく取り上げられている。そのキャッチコピーは「カメラのトランジスター」となっている。小さくて経済的で高性能,ということを強調したいのだろう。ただし,「オリンパスペン」には,トランジスターは使われていないはずだ。
 キヤノンでは,一眼レフカメラの「キヤノンフレックス」よりも,距離計連動式ビューファインダーシステムカメラの「キヤノンVI-L」「キヤノンP ポピュレール」が先に,大きく扱われている。「キヤノンVI-L」「キヤノンP」用の交換レンズには25mmや28mmなどの「超広角レンズ」が用意されているものの,「キヤノンフレックス」用の交換レンズには,広角レンズはまだ用意されていないようである。こういう点においては,まだ完全に主流となっていない一眼レフカメラと,ビューファインダーシステムカメラとの「棲み分け」ができていたのかもしれない。
 「ペトリ」は「栗林写真工業株式会社」だから,「コニカ」よりも先に登場してくる。「ペトリ」用も「コニカF」用も,広角レンズは35mmまでであるが,「コニカF」用の35mmレンズはF2という大口径である点は,注目に値するだろう。
 「ミノルタ」は「千代田光学精工株式会社」だから,「ニコン」よりも先に登場してくる。一眼レフカメラ「ミノルタSR-1」用の交換レンズも,広角側は35mmまでだ。価格や細かい仕様は記載されていないが,「ミノルタオートコード」の姿もここには見られる(上の画像も参照)。
 東京光学機械株式会社の「トプコンR」や「ホースマンプレス」「4×4 プリモJR」を見て,ようやく「ニコン」様の登場となる。その最初に登場するのが,「ニコンF」ではなく「ニコレックス」であるところが,ちょっとおもしろい。ところで,「ニコンF」で特筆すべき点は,とてもカッコ悪い「ニコンメーター」を装着した状態で掲載されていることだろう。また,広角レンズが充実していることは注目に値する。広角レンズだけでも21mm F4,28mm F3.5, 35mm F2.8と豊富に揃っているのだ(表記はcm)。まさに,「ニコンF」以外には,「使える一眼レフがなかった」という状況だったのである。また,SP,S3,S4もまだ,カタログをにぎわせている。
 カタログの見所は,後半にもまだまだある。マミヤ光機株式会社のページには,「新発売!ついに現れたマミヤのプレス」というコピーとともに,初代「マミヤプレス」が堂々と掲載されている。このときの交換レンズは,まだ3本である(65mm F6.3, 90mm F3.5, 150mm F5.6)が,これがこののち30年も続き,交換レンズがさらに充実するシステムにまで発展することは,当時の人々に想像できていたであろうか。
 ヤシカフレックス,ゼンザブロニカなどを見て,最後のページを飾るのは,「株式会社ワルツ」である。日本製二眼レフカメラの「ア」〜「ワ」のうち,先頭にあたる「アイレスフレックス」はすでに姿を消しているが,最後にあたる「ワルツフレックス」は,4×4判のみであるが,まだここにその姿を見ることができるのであった。


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