撮影日記


2006年12月02日(土) 天気:雨のち曇

ピカピン!

「カメラのキタムラ あけぼの店」は,中古カメラの扱いに力が入っているように見える。店の奥に,中古カメラの棚が多く確保されている。キヤノンやニコンのほかに,ライカやハッセルブラッド,トプコンなんかが見られることもある。しかし,私がここで着目したいのは,ジャンクワゴンである(笑)。
 この店のジャンクカメラの価格は,おもしろい。1台525円であるが,3台買えば1200円となり,10台買えば2000円である。その場合,1台あたり200円ということになる。この価格はたいへん魅力的であるが,欲しくなるようなジャンクカメラを10台も見つけだすことは,容易ではないだろう。
 今日はここで,以前から見つけ出そうと思っていたカメラを救出することができた。それは,「フラッシュフジカAF」である。

はじめて商品化された,オートフォーカス機構を組みこんだカメラは,1977年のコニカ「C35AF」であった。それは,「ジャスピンコニカ」という愛称名で呼ばれていた。「ジャスピン」とは,「ピント」が「ジャスト」に合うという意味であろうか。
 次いで,1978年10月にヤシカから「ヤシカオートフォーカス」が発売された。これは,当時の「日本カメラショー総合カタログ」に,「ズバピンの愛称で話題集中」と記載されていた。私は残念ながら,「ヤシカオートフォーカス」に話題が集中していたのかどうか,当時の事情をよく知らない。ただ,「ズバピン」とは,「ピント」が「ズバリ」合う,という意味であろうことは想像がつく。ところで,「ジャスピンコニカ」のオートフォーカス機構には,大きな問題点があった。それは,「画面の中心にしかピントが合わない」ことである。測距センサーが中央部にしか向けられていないこともあるのだが,いわゆる「フォーカスロック機構」がないため,被写体にピントを合わせたあとに構図を変更することすら,できなかったのである。それに対して,後発製品の「ズバピン」こと「ヤシカオートフォーカス」には,「フォーカスロック」用のボタンが用意されていた。被写体に向けてそのボタンを押せば,ピントがロックされ,その後は構図を自由に変更できたのである。ただし,「ヤシカオートフォーカス」の「フォーカスロック機構」は,一度ロックしたピントを解除することはできなかった。
 次いで,1978年11月(デート付き,デートなしは12月発売)に発売されたのが「フラッシュフジカAF」である。このカメラは,世間では「ピカピンフジカ」と呼ばれていたのを記憶している。「フラッシュ」の「ピカッ」と「ピント」を合わせた愛称であることは,容易に察しがつく。このカメラは,シャッターレリーズボタンを途中まで押しこむとピントが決められ,そのまま押し続けることでシャッターが切れるようになっている。途中まで押しこんだシャッターレリーズボタンは,指を離すと元に戻るため,現在一般的になったといえる「シャッターレリーズボタン半押しでフォーカスロック」というインタフェースをはじめて実現したカメラであるといえるだろう。「フラッシュフジカAF」には,そういう歴史的意味もあるし,フジノンレンズの描写にも一定の評価がある。もっとも,レンズの描写については,オートフォーカスの精度がいまひとつなカメラのものよりも,目測式カメラで楽しむ方がよいだろう。私が「フラッシュフジカAF」を欲しかった理由は,「ビームセンサー」とよばれていた機能である。これは,フラッシュ撮影時に,シャッターレリーズボタンを半押しにすると,ランプが点灯し,被写体を照らして,測距が可能になるというものである。現代的に言えば「AF補助光」である。
 今日,ジャンクワゴンから「フラッシュフジカAF」を救出したのは,とりあえず「ビームセンサー」だけは生きていたからであった。ほかの機構については,まだ,動作を確認していない。


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