撮影日記 |
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2006年11月23日(木) 天気:曇のち雨西國街道とやらを歩く西國街道とは,京都と下関を結んでいた街道である。この街道は,広島市も通っている。今日は,広島市内の歴史関係の施設が合同でおこなう「歴史ウォーキング」に参加する機会があり,広島市内中心部付近の,西國街道を歩いてきた。ときおり小雨がぱらつくこともあったが,コースの一部には「アーケード街」もあり,雨の影響は少なかったといえるだろう。 さて,猿猴橋を出発した歴史ウォーキングは,京橋を渡ることになる。橋には,橋名板がつけられているが,片側は「ひらがな」で,片側は「漢字」で書かれているそうだ。そして,京都側が漢字,その反対側がひらがなで書かれているという。そのココロは,「京で勉強して帰ってきたら,漢字が読めるようになった。」というものだという話があった。ただ,京橋については,それが逆で,京都側が「ひらがな」で,その反対側が「漢字」になっている。こういう話を聞いたからには,今後,機会をみつけて,ほかの橋はどうなっているのか確認をしたくなるというものだ。 猿猴橋(東側,西側)京橋(東側,西側)歴史ウォーキングはさらに西へ進み,白島線の電車どおりを越えてパークレーンの筋を南へ下がる。そして,電車どおりとの交差点の角に,1つの碑が立っていることを教えられた。それは,広島城の外堀の跡を示すものだという。広島城の外堀は,北からずっとこのあたりまで南下してきたというのだ。その長さが八丁にわたるので,八丁堀という地名がついたとのことである。したがって,八丁堀という地名は,八丁堀交差点付近だけに該当するものではなく,ずっと北の方までも関係してくるのである。八丁堀シャンテが,八丁堀交差点よりもかなり離れているのに「八丁堀」を名乗っていても,なにも問題はないということらしい。 広島城の外堀の跡を示す碑歴史ウォーキングは,このあと,胡神社を通り,新天地公園を経て,本通商店街に入る。そして,元安橋まで進んで終わった。元安橋の橋名板を見ると,たしかに東側は漢字で表記してあった。 元安橋(東側) |
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