撮影日記


2006年11月18日(土) 天気:曇のち雨

「可部線の四季彩」
展示作品04 三段峡

2004年5月1日,2日におこなった,「新・広島お気軽写真クラブ 第1回写真展」で展示した写真のうち,「可部線の四季彩」というテーマで展示した写真の4枚目は,この写真である。

TACHIHARA Fielstand45, FUJINON 210mm F5.6, EPR

可部線は,広島と浜田を結ぶ,「陰陽連絡線」の1つとして計画された。結局,全線が開通することはなく,三段峡駅が終点となっていた。
 線路は1本,ホームも1面だけで,そのまま行き止まりになっている。なんともシンプルな終着駅である(かつては,左側に待避線があった)。この写真を撮った場所のすぐ後は,もう,深い峡谷である。

三段峡駅は,名勝指定をされた「三段峡」の入口にあった。駅を出て,100mも歩けば,そこはもう「三段峡」の中である。宮脇俊三氏の「時刻表2万キロ」では,「三段峡駅は本当の三段峡よりもずいぶんと手前にある」という意味の紹介をされているが,これは間違いである。「三段峡」は,駅のすぐそばからはじまっていることに,大きな価値がある。宮脇俊三氏は,「三段滝」=「三段峡」と勘違いしていたのであろう。宮脇俊三氏にとって可部線は,「国鉄全線乗車」という大きな目標のなかの1つのターゲットにすぎないから,こういう勘違いをしていたとしてもしかたない。それに対して,三段峡や可部線を語る人は,そういう勘違いはしていないものと思う。
 三段峡は,夏から秋にかけて,多くの人が訪れる。可部線は,三段峡を訪れるための交通手段の1つとなっていた。行楽シーズンなどには,広島駅から直通の臨時快速列車が運転されていたこともある。三段峡駅前には,広島市内からの高速バスも発着し,さらに,三段峡の中ほど,葭ケ原(よしがはら)近くの水梨林道終点まで行くマイクロバスも発着する。周辺には,旅館やおみやげ物店などが並んでいる。
 冬になると,三段峡を訪れる人はすっかり少なくなる。この付近の旅館の利用者は,三段峡を訪れる人よりも,近くのスキー場を利用する人の方が主になってくるようだ。

可部線は,1両ないし2両編成のディーゼルカーによる普通列車が走るだけの地味な路線であると言えるだろう。しかし,季節を変えて見れば,それぞれ違った雰囲気を味わうことができる。可部線はなくなったわけだが,その終点にあった三段峡には,やはり多くの人が訪れているようだ。
 このときの展示では,以上の4点につづいて,三段峡を撮った写真10点を展示した。次の機会には,その10点を紹介する。


← 前のページ もくじ 次のページ →