撮影日記


2006年08月07日(月) 天気:はれ

「Contax(CONTAXではない)」が
進化したら・・・・?

かつて,この世には「Leica」と「Contax」という2種類のドイツ製高級小型カメラが存在した。そのうち「Contax」は,第二次世界大戦後の混乱のなかでソ連に持ち去られ,そこであらためて生産がされるようになったというお話は,よく知られているだろう。それは,「Kiev」という名称で,流通するようになった。
 「Contax II」と露出計つきの「Contax III」は,それぞれ「Kiev 2」「kiev 3」とよばれるようになった。したがって,「Kiev 1」というカメラは存在しないのだろう。だれか,「Contax I」を改造したり,あるいはその画像を修正したりして,「Kiev 1を発見!」とかいう記事を捏造したりしないだろうか,次ののエイプリルフールの日あたりにでも(笑)。
 「Kiev 2」「Kiev 3」あたりは,まだもとのContaxとあまり変わらないものだったといわれている。ただ,製造が続くなかで,部品をつくる金型が失われたりあるいは消耗したりしただろうし,生産効率をあげるための変更などはおこなわれただろうから,次第に純粋にソ連製の部品によって,カメラが構成されるようになったことだろう。
 しかし,基本的にはもとのContaxの姿を継承しつつ,シンクロ接点のついた「Kiev 2a」「kiev 3a」,さらに「Kiev 4」へとひそかにモデルチェンジが続けられていった。もっとも,製造当時に「モデルチェンジ」という意識があったのかどうかは,知らない。

そのように,ほとんどマイナーチェンジというか,部分的な変更が加えられて製造が続いていった「Kiev」だが,1967年になって,はじめて,大きな「モデルチェンジ」がおこなわれている。それが,「Kiev 5」である。

「kiev 5」を正面から見る。

正面から見て,これまでの「Contax」以来の姿が失われていることがわかる。
 まず,正面に大きく埋めこまれた露出計の受光部があり,そして,その隣にある大きなファインダーが特徴的である。このファインダーは,ほぼ等倍と思われる大きなもので,ブライトフレームをもち,パララクスの補正がおこなわれるようになっている。また,製造年等によって差があるらしいが,このカメラには,50mm用のものと85mm用のものと思われるフレームが用意されている。
 巻き上げノブにはレバーがついて,巻き上げがやりやすくなった。また,フィルムカウンターは自動復元順算式となり,露出計のメーターもコンパクトにまとめられている。操作性は,ずいぶんと改良されたことは間違いない。
 しかし,裏蓋は,Contax以来の着脱式で,独特の金属鎧戸シャッターも継承されているなど,中身はあまりかわっていないのかもしれない。つまり,カメラの大きさは変わっていない。むしろ,ファインダー部分が大きくなったために,より背が高くなり,重くなったという印象を受けるのである。

「kiev 5」と「Kiev 3a」を並べる。

大きく変更になった点としては,レンズマウントがある。
 旧来のContax/Kievマウントは,ヘリコイドのある内爪と,外爪の2つをもった構造だった。内爪にとりつける標準レンズにはヘリコイドがなく,コンパクトなものである。広角レンズや望遠レンズにはヘリコイドがあり,外爪にとりつけるようになっている。
 「Kiev 5」では,ヘリコイドのある内爪マウントが廃止された。そのため,旧来の標準レンズを使うことができず,専用の標準レンズが用意されている。しかしこのレンズを,旧来のKievボディにとりつけることはできない。
 しかし,外爪にとりつける,広角レンズや望遠レンズは,旧来のものをそのまま流用できる。旧来の標準レンズを使えなくなったことは残念なことであるが,それ以外については,かなり使いやすく改良されているので,きわめて実用的なカメラということができるのではないだろうか。その大きさに耐えることができるのならば。

広角レンズ(Jupiter-12 35mm F2.8)や望遠レンズ(NIKKOR-Q 13.5cm F3.5 'C')は,従来のものをそのまま利用できる。

ということで,「Kiev 5」は,第二次世界大戦以前の「Contax」が正常に進化したものである。戦後の西ドイツ製の「Contax IIa」「Contax IIIa」が,もしそのまま進化したら,それはどんな姿になったであろうか。京セラ「CONTAX G1」「CONTAX G2」がその解だった,とは思いたくない。


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