撮影日記


2006年08月06日(日) 天気:はれ

検定から国定へ

明治時代の「尋常小学読本」や「小学理科書」は,思ったよりもおもしろい本であった。小学生が読むにはかなり難しいものと思われるので,教師の力量がそうとうに試されるものであったものと思われる。とくに,「小学理科書」は,前の学習指導要領で示されていた,高等学校理科の「IA科目」に通じるものがあるのではないか?とさえ思えてしまう。

そこで,ほかの教科の教科書も読んでみたくなり,今週もアカデミイ書店へ立ち寄ってみた。まだ何冊か残っていたが,今日は,地理の教科書を入手した。

「小学地理 四」,明治36年11月24日印刷,明治36年11月25日発行,明治38年11月28日飜刻印刷,明治38年12月7日飜刻発行となっている。明治36年というと1903年である。つまり日露戦争(1904年〜1905年)の前年に書かれた教科書であり,修正されて日露戦争中に実際に使われた教科書である。
 「地理」というタイトルがあるからには,これは尋常小学校ではなく,高等小学校の教科書であろう。この教科書が発行された当時は,第3次小学校令の時代であるため,4年間の尋常小学校で教えられる教科は,修身,国語,算術,体操の4教科である。

さて,この教科書「小学地理 四(明治38年)」は,以前に紹介した「尋常小学読本 巻八(明治32年)」や「小学理科書 巻四(明治34年)」とくらべて,大きく異なる点がある。

まず,印刷・製本様式がまったく違うことに気がつく。

「尋常小学読本 巻八」は,和紙に木版刷りされ,袋とじにして糸で製本された,いわゆる「和装本」である。木版刷りとは,2ページ分の紙面にあたる凸版(凸部分にインクを載せて印刷するときの原版)を木の板に彫り,それを版画の要領で半紙に印刷する手法である。版画と同様にバレンで紙を擦る動作が含まれることから,「木版刷り(すり)」とよばずに,「木版擦り(すり)」とよばれる場合もあるらしい。ところで,もともと木版刷りでは,版の元になる字は手書きによるものである。しかし,この教科書では,1つ1つの文字の形がそろっており,きちんとした楷書になっている。そのため,元になる字は,活字が使われているのかもしれない。
 また,挿絵の細密さには感嘆してしまうだろう。細かく描かれた線が,1つ1つ木版に彫りこまれたものだと思うと,この版を作成した職人さんたちの技術に感動せざるをえない。これは,数の限られた芸術作品ではなく,大量生産の義務教育用教科書なのである。これは「小学理科書 巻四」も同様である。

それに対して「小学地理 四」は,和紙ではなく洋紙が使われている。製本様式も,糸による平綴じとなっており,形態的には近代的な書籍の姿になっているといえるだろう。

次に,発行元の違いに気がつくだろう。

「尋常小学読本 巻八」は,国光社により,文部省の検定を受けて発行されている。 一方,「小学地理 四」は,文部省著作であり,合名会社 国定教科書協同販売所から発売されている。

ここで,明治19年の(第一次)小学校令を参照してみる。

小学校令(明治十九年四月十日勅令第十四号)
第十三条 小学校ノ教科書ハ文部大臣ノ検定シタルモノニ限ルヘシ

文部省による検定を経たものが,小学校の教科書として使われることが定められた。それらの教科書は,民間企業の手によって著作や印刷がおこなわれている。これは,基本的に,現在も同じである。ある学齢の子どもにはどれだけの内容のことを教えればよいかの基準を示したり,記述の誤りを正したりするための検定制度は,国として,教育の質を「均一」に保つために必要不可欠なことであろう。
 これをさらに強力に推し進めると,国が直接,教科書を作成する「国定教科書」となる。「国定教科書」になることで,国家戦略としての教育の目標を明確に定め,その内容の質をさらに均一に保つことができる一方で,民間企業等が意見を加える機会が失われることから,たとえば国家としての思想統制がおこないやすくなるとされる。
 では,民間企業等によって,まったく自由な教科書をつくることが望ましいのかというと,そうとは言い切れないだろう。一部の者の利害や,各種の圧力団体の影響を受けることによって,さまざまなバイアスがかかった教科書が乱立すれば,国家としての道筋さえ見失うことにつながるかもしれない。
 明治時代に検定教科書から国定教科書になった事情として,教科書の内容に問題があったことが指摘されていたようだ。また,内容だけではなく,品質がよくなく,高価であったことを指摘される例もあったようである。さらに,教科書採択をめぐっての贈収賄事件(教科書事件)も発生し,国が責任をもってきちんとした教科書を発行するという名目で,国定教科書という制度に移行したようである。「教科書事件」によって,教科書国定化の流れに世論も反発しなかったということらしいので,この事件は国によって意図的に起こされた事件だったのかもしれない・・・・・などというのは考えすぎか。

小学校令施行規則中改正(明治三十六年四月二十九日文部省令第二十二号)
第五十三条 小学校教科用図書中修身、国語、算術、日本歴史、地理、図画ヲ除キ其ノ他ノ図書ニ限リ文部省ニ於テ著作権ヲ有スルモノ及文部大臣ノ検定ヲ経タルモノニ就キ府県知事之ヲ採定ス(以下略)

明治37年から明治43年にかけて,順次,各教科の教科書が,国定教科書になっていった。このとき,定価の最高額を定めたり,用紙の品質や文字の大小,ページ数などの基準を文部省が示し,均一な品質の教科書が,従来よりも安価に流通するようになったという。現在,思想統制などの面から否定的に評価されている「国定教科書」制度も,国家の制度が発展途上の段階においては,一定の役割があったということだろう。
 今年6月,公正取引委員会において,過当な競争を防ぐことを目的とする,教科書の「特殊指定」の廃止が決定された。これによって,競争がしやすくなり,多様な教科書が登場するきっかけになるとする主張もあるが,競争が激化して明治時代のような「教科書事件」がふたたび起こり,それをきっかけに「検定教科書」制度が「国定教科書」制度に移行するという結果につながることは,絶対にないといえるのだろうか。
 検定教科書と国定教科書,どちらの制度がより適切なのかは,意見が分かれることだろう。ただ,検定制度をとりいれている国がある一方で,現在でもたとえば大韓民国や中華人民共和国などでは「国定教科書」の制度になっている(教科によっては検定制度も使われている)。各国の事情などによって,最適とされる形が違うのも,当然のことだろう。


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