撮影日記


2006年07月30日(日) 天気:はれ

ペンタックス「オートロン」はレアなカメラ?

かつての旭光学は,カメラのブランドとしては,「一眼レフカメラ専業」という状況であった。
 1952年の国産初の35mm判一眼レフカメラ「アサヒフレックス」にはじまり,1957年の「アサヒペンタックスAP」ではペンタプリズムの搭載を実現した。そののち1969年には6×7判一眼レフカメラ「アサヒペンタックス6×7」が発売された。これは,35mm判一眼レフカメラをそのままスケールアップしたようなカメラであり,フィルムバック交換などのシステム面では,マミヤ「RB67」などに劣るものの,その使いやすさなどの面で大きくリードしたようだ。1975年には,35mm判一眼レフカメラのマウントが,M42マウントからKマウントに変更され,その後,AEやAFなどの自動化も進んでいく。1979年には,110判カメラさえも一眼レフカメラにしてしまったペンタックス「オート110(ワンテン)」が発売された。
 35mm判カメラはもちろん,中判カメラからポケットカメラまで,ペンタックスは「一眼レフカメラ専業」という状態だったのである。「高級カメラ専業」というイメージの強いニコン様ですら,ニコンSシリーズやニコノスなどのビューファインダーカメラを発売していて,決して「一眼レフカメラ専業」という状態ではなかったのである。もっとも,一眼レフカメラがポピュラーになる前は,一眼レフカメラよりも,距離計連動式ビューファインダーカメラ(レンジファインダーカメラ)の方が高級品とみなされていたようであるが。

そんなペンタックスの状況を変えるきっかけになったカメラが,1982年のペンタックス「オートロン」(PC35AF)である。

ペンタックス「オートロン」は,35mm判レンズシャッター式オートフォーカスカメラである。いわゆる全自動のコンパクトカメラだ,といいたいところであるが,巻き上げは手動式(背面のノブを回す方式)であった。このカメラの特徴としては,前面にレンズバリアをもちいた,いわゆるケースレスのスタイルになっており,当時としてはかなりコンパクトな部類だったことがもっとも大きいだろう。さらに,3群4枚構成のレンズを使うのが一般的だったこのクラスのカメラに5群5枚構成のレンズを採用したことも,特徴の1つにあげられるかもしれない。しかし,もっとも大きな特徴としては,オプションで「ワインダー」を取りつけられたことにある。
 オートフォーカスのコンパクトカメラで,本体は手動巻き上げで,オプション品としてワインダーが用意されているカメラは,ペンタックス「オートロン」のほかには例がないのではないだろうか。そもそも,コンパクトカメラで,ワインダーがオプション品として用意されているカメラ自体,例が少なく,たとえばコシナ「CX−2」くらいしか思いつかない

今日,ひさしぶりに的場町の中古カメラ店を巡回した。マミヤCシリーズの格安品があるかどうかを見るためだったのだが,あまり魅力的なものは見られなかった。しかし,ペンタックス「オートロン」のワインダー付きカメラをおいてあるお店があった。しかも,ボディの色は,よく出回っているブラックではなく,ワインレッドのものである。
 まだ,価格がつけられていなかったことと,ボディに「割れ」が見られたことから,今日のところは静かに見送ることにした。このワインダーは,あまり見かけることがなく,ややレアなアイテムであろう。何年か前に,大阪の中古カメラ店のジャンクワゴンで300円で売られていた,そのワインダーを買っておかなかったことは,いまだに後悔している。


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