撮影日記


2006年07月25日(火) 天気:くもり一時あめ

マミヤプレスの偉大さを再認識

友人に貸していただいている「写真工業」(1960年12月)の表紙写真は初代「マミヤプレス」である。本文中には,「新発売 プロ用6×9判カメラ誕生 マミヤプレス」という広告も掲載されている。「マミヤプレス」は,このとき,最新のカメラだったのである。その発売は,1960年9月である。「写真工業」(1960年12月)のほかの記事によれば,当時,国産の大型カメラとしては,旧態依然とした木製組立暗箱のほかには,トヨビューやアートビューといったモノレール型タイプのカメラや,マミヤプレスと同年に登場したトプコン・ホースマン960型などがようやく市場にあらわれたばかりで,大型カメラのユーザはもっぱら外国製品を使っていたという状況らしい。「商業写真の分野では大きなネガが求められている。」「大判カメラの圧倒的質感は,小型カメラでは代用できない。」という意識が強いので,国産の大型カメラが育っていくことは,たとえば修理部品なども外国製カメラにくらべて入手しやすくなるなど,ユーザにとってのメリットも大きいだろうという期待が述べられている。
 とくに「マミヤプレス」は,十分過ぎる量の後部アオリが使えることなどの機能性や,レンズ交換をしても距離計にそのまま連動することなどの扱いやすさが,高く評価されている。なお,初代「マミヤプレス」から後年の「マミヤプレス・スタンダード」までのモデルと,そのあとの「スーパー23」「ユニバーサル」とは,それぞれ「旧プレス」「新プレス」としてまとめて扱われる。ボディのデザインやレンズ交換の操作などに差がある(一部のレンズにおいては互換性がない)。どちらかというと,「旧プレス」の方がコンパクトでスマートな印象があって人気が高いようだが,私が長年使っているマミヤプレスは「新プレス」の1つである「ユニバーサル」であるため,「旧プレス」に対しては,やや強い違和感を感じている。
 初代「マミヤプレス」が発売された1960年は,あの世界的永遠の名小型カメラ,ニコンF様が発売された翌年である。この時期は,日本から,世界で認められるカメラがつぎつぎに誕生した時期なのであろう。そう考えると,初代「マミヤプレス」がほしくなるというものだ(笑)。いや,とりあえずは「旧プレス」なら,なんでもいい。

・・・・という気分になってきた。

1957年に誕生した,レンズ交換が可能な画期的二眼レフカメラ「マミヤフレックスCプロフェッショナル」によって,マミヤは「プロ用カメラのメーカー」というイメージを得つつあったのではないだろうか。初代「マミヤプレス」が誕生したことで,そのイメージは確固たるものになったものと思われる。
 現在,6×9判は,一般的には「大判」ではなく「中判」として分類されているものと思われる。しかし,初代「マミヤプレス」登場時は,ライカ判カメラや,6×6判カメラが,作品作りのためのカメラとして認識されていたのだろうか,「写真工業」(1960年12月)の記事のなかでは,むしろ4×5判などとあわせて「大判」として扱われているようである。
 マミヤプレスは,近代的国産大判カメラのパイオニアの1つであろう。マミヤプレスは,偉大なる存在なのである。このシリーズは,現在においても十分に実用的であり,大きなフィルムに記録された画像の質感は,やはりライカ判等の小型カメラや,ましてやディジタルカメラには代用のできないものである。多くの場合,そこまでの「品質」は必要ないだろうが,写真の「記録に残す」という性質を重視すれば,記録する情報量は,少しでも多いほうがいいはずだ。大きな判の画像を,比較的容易に扱うことができる「マミヤプレス」は,ディジタルカメラの性能があがりつつあり注目が集まる現在こそ,あらためて見なおされるべきカメラたり得るだろう。


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