撮影日記


2006年05月30日(火) 天気:曇

キヤノンよ,お前もか。

先週末,キヤノンが「今後はカメラの新機種をつくることは難しい」という発言が報道された。この件に関しては,まだ「カメラの開発をやめる可能性がある」というだけで,それが決定したという報道ではない。だから,あまり大きな話題になっていないと考えることができる。あるいは,昨年末からカメラの新規開発をしなくなる方針を発表するメーカーが相次いだことから,十分に予測できることとして受け止められたということかもしれない。
 ともあれ,カメラの「新規開発」をやめるというメーカーが,また1つ増えたわけである。「カメラ映像機器総合カタログ」に掲載されているメーカーのうち,カメラの製造・販売をおこなっているメーカーは,キヤノン,コシナ,ニコン,フジ,ペンタックス,マミヤだけとなった。ほかに,大判カメラ専業メーカーや,外国のメーカーが多少あるとしても,この現状には寂しさを感じずにはいられない。

また,5月10日にはコダックから,一般用カラーネガフィルムの価格を改訂するという発表があった。これによると,一般用カラーネガフィルムの価格が,6月1日出荷分より,10〜17%の値上げになるという(http://wwwjp.kodak.com/JP/ja/corp/news/0506/100506.shtml)。さらに,5月17日には富士写真フイルムから,6月以降に「写真感光材料製品の価格改定」をおこなうという発表があった。主要製品で,3〜20%の値上げになるという(http://www.fujifilm.co.jp/corporate/news/article/ffnr0008.html)。
 このように,フィルムを使って写真を撮るための条件は,少しずつ厳しいものになっている。

新しいカメラが供給されなくなっても,今,使っているカメラが使えなくなるわけではない。電子回路に頼らないカメラであれば,今後,20年や30年くらいは,まだまだ平気で使い続けていくことができるだろう。しかし,フィルムの供給と,現像処理のインフラがなくなると,もう写真を撮ることができなくなってしまう。そういう「写真の最後の日」がいつ訪れることになるのか,まだだれにも予想はできないだろう。

「写真」は,視覚情報のメディアの1つである。このメディアには,「伝える」機能や「記録する」機能がある。ディジタルカメラの場合,「伝える」機能については,撮影したその場でLCDを通じて「伝える」ことができたり,そのまま電子メールに添付して「伝える」ことができるなど,フィルムにくらべて大きく機能が拡張されているといえる。
 一方,「記録する」機能については,問題点も指摘できる。たとえば,ディジタルデータは,いつまで保存ができるだろうか?CD-Rは色素を利用して記録しているので,写真と同様に経年劣化により,データが読み出せなくなる可能性を指摘する人もある。また,CD-Rに記録された,RAWなりJPEGなりのデータを読み取ることができるハードウェアや,それを画像として表示させられるソフトウェアは,いつまで存在するだろうか。すでにU-MATICやβどころか,8mmビデオですら,再生するための機械の確保が困難になりつつある。画像データを写真店等でプリントした画像については,フィルムによる写真と同じくらいの保存性があることになるが,家庭用プリンタでプリントした画像については,その歴史が浅く,まだ未知数(むしろ不安が大きい)というのが現状だろう。
 フィルムによる写真は,像が物に固定された状態で記録されているということで,安心感がある。そして,それを見るためには特別な道具は必要ないことの意味も大きい。
 現実には,フィルムよりもディジタルデータが多く選択されている。最近の人びとは,「記録する」ことを重視していないということなのだろうか。

写真を楽しむ者として,いまできることは,
 1 今までと変わらず,フィルムを消費する。
 2 今までと変わらず,現像処理等ラボのサービスを利用する。
 3 フィルムならでわの作品を発表していく。
ということにまとめられる。1,2については,「今までと変わらず」がポイントである。そんなところで無理に努力をする必要はない。いや,少しくらい努力をしても,意味がないだろう。同じ努力をするなら,3に力を注ぐべきである。フィルムならでわの作品を作り,それを広く発表するための努力は重要である。それは,私にとってはたいへん難しいことであるが。


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