撮影日記


2006年04月22日(土) 天気:雨のち曇

さらば,銀河線。

2006年4月20日をもって,北海道ちほく高原鉄道「ふるさと銀河線」が廃止になった。この鉄道は,北海等東部の池田町(十勝支庁)と北見市(網走支庁)を結んでおり,路線の延長はおよそ140kmで,第3セクター方式による鉄道としてはもっとも長い路線をもつものであった。国鉄池北線として全通したのは1961年であり,その後,1989年には第3セクター「ふるさと銀河線」として再スタートをしている。

私は,いわゆる「鉄」ではないが,1993年に仕事でこの地方を訪れたことがあり,そのときに一部区間だけ乗ってみたことがある。西日本では味わえないような鉄道だったこともあり,訪れた記念に「ふるさと銀河線 友の会」にも入会したものだ。入会金を支払った後数年間,年1回,「通信」が送られてくるのを受け取るだけであり,「ふるさと銀河線」を再訪する機会をもつことはなかった。支払った会費も,「ふるさと銀河線」の運営を支えることにつながるようだったが,会員を管理し,「通信」を発行し,発送する手間を考えれば,金額的には支援としては,ごく些細なものに過ぎなかったことだろう。

「ふるさと銀河線」も,ほかの日本各地で見られることと同様に,人口の減少,少子高齢化,自家用車の普及などの影響を受けていたようだ。それらの現象は,着実に,鉄道の経営を苦しくしていったようである。その間,沿線市町村やさまざまな団体等が,存続に向けての知恵を出し合ったり,努力を続けてきたようであるが,ついに,廃止の日を迎えることになったようだ。ただ,一部区間については「観光用」に「残す」という準備も進められているらしい。現在は,輸送機関として維持することは厳しいものの,観光用としての価値はあるという判断があったのだろう。
 先年,廃止になった,可部線の三段峡と可部(河戸)の区間についても,「存続」や「再生」のためのさまざまな活動がおこなわれていたようである。私の聞いた範囲だけで言えば,「『観光資源』としての価値がある」,と主張しながら,『輸送機関』としても「存続」あるいは「再生」ができるような方法ばかりが探られていたような気がする。本当に『観光資源』としての価値があったなら,その価値のある部分だけの「存続」や「再生」の方法についても,検討されていたらどうだっただろうか。
 ま,私は「鉄」ではないので,詳しいことはよくわからない。

ともあれ,「ふるさと銀河線」のこの後の処理はどうなるのか,少しは気にかけておきたいと思う。また,「ふるさと銀河線 友の会」入会時に,私の名前と(当時住んでいたところの)住所が記載されたプレートを,ある駅に入れてもらうようになっていた。やはりそれは,一度はこの目で確認しておきたいものだ。


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