撮影日記


2006年02月15日(水) 天気:雨

「富士写真フイルム」
は,
「富士写真フィルム」
ではなく,
「富士写真フイルム」
である。

「キヤノン」は「キャノン」ではなく「キヤノン」であることは,以前から気がついていた。
 しかし,「富士写真フイルム」は「富士写真フィルム」ではなく「富士写真フイルム」であることに気がついたのは,実につい最近のことである。「フイルム」の「イ」は,小さな「ィ」ではなく,「イ」なのである。数日前に,友人のblogでそのことが言及されており,はじめて気がついたのである。
(http://nageezoadoresu.soudachann.ciao.jp/)
 すると,しょーもないことが気になってくるのである。

下部の,「富士写真フイルム株式会社」の部分は「フイルム」であるが,説明文2行目から3行目にかけての部分などでは,「このカラーフィルムの色素は・・・」のように「フィルム」になっている。普通名詞としての「フィルム」と,会社名の「フイルム」は,厳密に使い分けられているようである。

「富士写真フイルム」は,昔から「富士写真フイルム」だったのか?

こういうときに参照したくなるものは,2005年10月18日の日記でも少しふれた,「アサヒカメラ」(1938年6月号)である。さっそく,「富士写真フイルム」の広告が載っていないか,さがすことにした。

まず,目に飛びこんできたものは,裏表紙の「小西六」の広告である。

さくらフルム

「ヰ」である。「イ」でも「ィ」でもなく,「ヰ」である。
 「さくら」のフィルムというと,私くらいの世代の方であれば,萩本欽一氏による「4枚増えて値段は同じ」の「サクラカラー24」の印象が強いのではないだろうか。
 「さくらフヰルム」の「小西六」は,その前身「小西本店」が1903年に日本で最初にカメラを(自社ブランドとして)製造・販売したとされる老舗である。さらに1924年に最初の国産フィルムを発売したともされている。当時は国内で,写真業界をリードする立場にあったのかもしれない。「アサヒカメラ」の裏表紙,一番目だつところに広告を出していたのは,そういう背景があったのではないかと想像したい。ちなみに,このとき宣伝されていたフィルムは,「スペシアルクローム」「パンクロF」「パンクロUSS」である。
 そんな「小西六」の伝統を受け継ぐ,「コニカミノルタ」は,先月,カメラ・感材事業からの撤退を発表した。寂しいものである。


躍動する生氣………
撥剌たる健康美………
青白き感傷をケシ飛ばしてカメラに寄する逞しき情熱よ!

さて,「アサヒカメラ」(1938年6月号)をどんどんめくってみよう。巻頭の折込になっている部分に目次がある。ここには,「オリエンタルフィルム」の広告があった。「オリエンタル写真工業」は,現在は「サイバーグラフィックス株式会社」という名称となり,「オリエンタル」の名前は失われているようであるが,モノクロペーパーなどでは現在でも一定の評価を得ているブランドである。
 「サイバーグラフィックス株式会社」のウェブサイトで,会社の沿革を参照してみると,1953年に,日本最初のネガカラーフィルム「オリカラー」および「オリエンタルカラーペーパー」を発売した,と記載されている。そういえば,「サクラカラー24」のテレビCFが流れるよりも前の時代には,「♪オリエン タルゥっの カラープリントォー」という宣伝メロディを耳にしたような記憶があったりする。
 ちなみに,「アサヒカメラ」(1938年6月号)で宣伝されていたフィルムは「パンXクローム」という。


輸入統制・フィルム戦線異状なし!

アメリカ合衆国等との対立が深まりつつある時代背景を表現したかのような,コピーである。こういうことを考えながら広告を眺めるのも,楽しいものだ。

さて,ページをさらにめくっていくのだが,なかなかフジの広告が見つからない。ようやくなかほどのページに,「富士寫眞フイルム」の広告を見ることができた。「フイルム」は「フイルム」であったが,「写真」は「寫眞」となっていた。
 ちなみに,「アサヒカメラ」(1938年6月号)で宣伝されていたフィルムは「富士ネオパンクロフイルム」である。


決して敗けない自信を持つ ネオパンクロの感光度

同時に,「國民精神總動員 愛國懸賞寫眞募集」の締め切りが近いことが案内されている。

さて,現在,写真フィルム業界では,コニカミノルタ(小西六)は写真フィルム事業からの撤退が決まっており,オリエンタルも特殊な製品だけになってしまい,(コダックを除けば)富士だけが生き残っているようなものである。しかし,1938年ころは,富士(1934年設立)はどちらかというと後発企業で,小西六(前身の小西本店は明治初期から写真材料商として活動)やオリエンタル(1919年創立)の方が,雑誌で目だつページに広告を出せるなど,元気がよかったのであろうか(小西六は,さらに別のページに,「さくらシネフヰルム」の広告を出している)。

こういう変遷も,眺めてみると,おもしろいものである。

ちなみに,「フィルム」ではなく「フイルム」である理由は,以前は会社の登記に「ィ」や「ャ」などの文字が使えなかったということであるらしい。ところで,「アサヒカメラ」(1938年6月号)での「キヤノン」の広告は,「キャノン」ではなく「キヤノン」である。当時の会社名は「精機光学」(1933年創業)であり「キヤノン」(1947年改名)ではない。ちなみに,宣伝されていた商品は,「キヤノンカメラ ニッコールF3.5付 350円」であった。


大陸を席惓する皇軍兵士の如く、世界の注視と瞠目の裡にキヤノン・カメラも堂々と躍進して行く。


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