撮影日記


2005年10月06日(木) 天気:曇のち晴

ハーフサイズカメラを語ってみる(3)

1960年代から1970年代にかけて大流行となった「第2世代のハーフサイズカメラ」も,やがてブームの終焉を迎える。ハーフサイズカメラの特徴として,同じフィルムで撮影できるコマ数が2倍であることも忘れてはならない。36枚撮りのフィルムで72コマも撮影できるのである。当時はフィルムが,とくにカラーフィルムがまだ高価なものであり,たくさん撮ることができるというのは,大きな利点となったのである。
 1970年代になると,カメラの小型化がよりいっそうすすんできた。1968年から発売されたコニカ「C35」シリーズは,コニカが1964年に発売したハーフサイズカメラ,コニカ「eye」のサイズを目指した,非常にコンパクトなカメラである。そして,カメラの自動化や低価格化もすすんでいき,ハーフサイズカメラの有利さが,しだいに弱いものになっていった。
 さらに,カラーフィルムの価格も下がってくると,ハーフサイズカメラの弱点が気になるようになってくる。フィルムの性能が,現在にくらべるとまだよくないため,少し引き伸ばすと,粗さが気になってくるなどというものである。
 そして,フラッシュを内蔵した,リコー「オートハーフEF」(1978年),リコー「オートハーフEF2」(1980年),オリンパス「ペンEF」(1981年)が第2世代ハーフサイズカメラの最後の製品となった。

ネガカラーフィルム価格の変遷
価格備考出典
195812EX  400円さくら コニカラー(ASA16)朝日新聞社「アサヒカメラ年鑑1958」掲載の広告による
197212EX  290円
20EX  420円
36EX  580円
サクラカラーN−100日本写真工業会「写真用品総合カタログ1972」掲載の広告による

「ピッカリコニカ(C35EF)」以後,フラッシュを内蔵したカメラは,さらに自動化がすすんだ。1979年の初代キヤノン「オートボーイ」で,露出もピントも自動調整され,さらに巻き上げも電動化された,フルオートコンパクトカメラの出現に至った。
 人びとが,ハーフサイズカメラの存在を忘れようとしていたとき,突然,ハーフサイズカメラがふたたびあらわれた。1984年に,コニカ「レコーダー」(ニューコニカ)が発売されたのである。従来のハーフサイズカメラの多くは,カメラを普通にかまえると縦位置の写真を撮るようになっており,違和感があった。コニカ「レコーダー」はフィルムを天地方向に給走することで,普通にかまえると横位置の写真を撮ることができるようになり,その違和感が解消された。このカメラは,オートフォーカス機構を取り入れ,フィルム給走も電動化しており,当時の一般的なコンパクトカメラをそのままハーフサイズにしたような,電子化されたカメラとなった。ここからを,「第3世代のハーフサイズカメラ」と呼ぶことにしたい。
 次に登場したハーフサイズカメラは,1985年のフジ「ツイング」である。これは,AFではないが,望遠レンズと広角レンズを切りかえることができることが特徴であった(広角時はパンフォーカスとマクロモードの2段切り替え,望遠時は3点ゾーンフォーカス)。そして,1985年には「第3世代のハーフサイズカメラ」の代表と位置づけたい,京セラ「サムライ」が登場する。

京セラ「サムライ」は,ビデオカメラのような縦型の斬新なフォルムをもち,3倍ズームレンズを内蔵した,フルオートの一眼レフカメラでもあった。「望遠レンズを使いたい」という,フルオート化されたコンパクトカメラのユーザの,次なる要望を実現したということもできるだろう。
 京セラ「サムライ」は大きな話題になり,4機種のバリエーションが登場した。しかし,その性格が中途半端だったのだろうか,1990年代に入ると,市場から消えてしまった。「第3世代のハーフサイズカメラ」の時代は,短いものだった。
 1993年には,ニコン「ミニ(AF600)」が登場している。このころから,コンパクトカメラは,その名前のとおり非常に小さいものになっていった。もはや,カメラをハーフサイズにする理由は,なくなってしまったということだろうか。

ニコン「ミニ」とオリンパス「ペンD3」

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