撮影日記


2003年06月26日(木) 天気:くもり

欲しいカメラはありますか?

写真雑誌

ここ数年,いわゆる写真雑誌を買わなくなっている自分がいることに気がついた。本棚には,数年前まで買っていた,いくつかの雑誌やムックが並んでいる。これらの雑誌を買わなくなった理由には,なにがあるだろうか?ちょっと考えてみた。
 そのような雑誌を買うことには,どのような意味があるのだろうか?1つは,「写真」に関する情報である。ほかの人の作品を見たり,ハウツー記事を参考にしたりすることがあげられるだろう。もう1つは,「カメラ」に関する情報である。いわゆる新製品レポートというものに対する興味と言ってよいだろう。ところで,撮影に関するハウツー記事のテーマというものは,何年かこの種の雑誌を読み続けると,いつのまにか「一巡」していることに気がつく。毎回,異なる執筆者により,異なる作例を示されながら,異なる切り口で書かれるわけだが,それでも改めて読んでみようという気になることは少ない。
 そして,さらに,新製品に関する記事に対しても,興味の薄れている自分がいることに気がつくのである。

カメラ雑誌

「写真趣味」と「カメラ趣味」に分けて考えることができるように,雑誌も「写真雑誌」と「カメラ雑誌」に分けて考えることができそうだ。ただ,「写真雑誌」でも「新製品情報」などの「カメラ趣味」の領域を扱っているし,「カメラ雑誌」でもいろいろな作例や作品を掲載して「写真趣味」の領域を扱っている。これら2つの趣味は,やはり似て非なるものだが,相互に補完し,両立可能なものなのである。
 「カメラ雑誌」と言えるものには,いわゆる中古カメラブームの流れに沿って登場したように感じられるものもある。そういう雑誌も,登場した当初は興味を持って眺めてみたが,やがて,掲載されている情報,記述の内容などに,かなり「誤り」が含まれていることに気がつく。とくに問題にしたいものは,たとえば「○○と言われている」というレベルの「お話」を,「事実」と断定して書いたようなものではない。手元に,実際にそのカメラがあって,それを触りながら書いていれば,絶対に間違えようのないはずのものすらあったことを大きな問題として感じているのである。そのため,その種の雑誌に「お金を払う」気は,すぐに失せていった。
 また,特定の執筆者が,種種の雑誌やムックで,似たような話を何度も繰り返し書くように感じられたことも,その種の雑誌を,たまに眺めてみるが,やはり買って手元においておこうという気にさせなかったのである。最近は,多少,改善されているのかもしれないが。

そして,いま欲しいカメラは

私が中学生から高校生だったころ(1980年前後)は,けっこうカメラの新製品にトキメキを感じていたような気がする。そのころの自分にはとても買えないもの,という憧れもあっただろう。しかし,カメラに次々に新しい機能が付加されていきつつあった時代であったことも事実だろう。すでに一眼レフにTTL露出計が内蔵されているのは当たり前だったが,やがてAEが当たり前になってくる。シャッター速度優先AEと絞り優先AEではどちらが優れているか,など,今から思えばどうでもいいような話を,興味深く読んでいたような気がする。そして,ミノルタα-7000が登場し,AFも当たり前になってくる。
 個人的に,新製品にトキメキを持っていたのは,せいぜいその後,1990年くらいまでだったかもしれない(そのせいか,ペンタックス645Nが,中判一眼レフではじめてAF機構を内蔵させて登場したとき,その広告には「夢だった」と記されていたが,それがいまひとつピンとこなかったものである)。AEやAFが登場したころ,「AEやAFは当てにならない。」と主張する声もよく聞いたように思う。それは厳密には正解だろう。しかし,オートに頼っても十分なとき(あるいはオートに頼ることが有利なとき)は積極的にオートを利用し,オートでは対応できないようなときはマニュアルで撮ればよいだけのことである。そして,決して新しくない,現在所有しているシステムで,自分が撮りたいものは十分に対応できる,と感じている今,新製品にはそう簡単に心がゆらぐものではない。
 ただ,最近ようやく日本国内でも発売された,Kodak DCS Pro14nというディジタル一眼レフカメラについては,非常に興味がある。しかし,とりあえず買ってみよう,という金額ではないのが残念だ。ただし,最近の私は,格安の中古カメラばかり買っているので,金銭感覚がおかしくなっている可能性は十分にある(笑)。


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