撮影日記


2002年12月09日(月) 天気:あめ

可部線存廃問題に思う(8)

「情報」とは

現代は,「情報社会」と言われている。では,「情報」とは何だろうか?「情報」とは,伝えたい「意味」を「形」にしたもので,「媒体」によって伝えられるものである。「情報」を受信する者は,発信者が「情報」という「形」にした「意味」を,「媒体」から正確に取り出さねばならない。
 もし,「意味」をうまく「情報」という「形」にできなかったらどうなるであろうか。伝えたい「意味」が正しく伝わらないことになる。もし,受信者の「情報」から「意味」を取り出す能力が低かったらどうなるであろうか。伝えたい「意味」が正しく伝わらないことになる。だから,伝えたいものがある者は,誰にでもわかりやすい「形」で「情報」を発信する必要がある。
 逆に,意図的に誤解を招きやすい「形」で「情報」を作ることも可能である。このような情報が,マスメディアなどの「媒体」を通じて伝達されると,それは「情報操作」ということになる。したがって,「情報」を受信する者は,そのなかに含まれている「意味」を,その発信者の意図も考慮しながら読み解く姿勢が必要になる。

新聞が伝える「数字」

先日の,「可部線(可部−三段峡)廃止届提出」伝える新聞記事では,私が確認した5紙の中では1紙のみが,JR西日本広島支社長のコメントとして「乗客が1人,2人という可部線が」という「数字」を含んだ発言を取り上げていた。ここには,どのような意図が含まれているのだろうか。
 「乗客が1人,2人」という「数字」を見た読者は,「それくらいしか乗客がいないのなら,(可部線は)必要ないだろう。廃止は当然だ。」という印象を持つのは,ごく自然なことだろう。そうすることで,世論を「廃止は当然」という方向に導くことが,この新聞の「意図」なのかもしれない。マスコミには,国鉄時代末期にも「赤字ローカル線」を題材に地方への利益誘導型政策をとろうとする政治屋を攻撃する傾向が見られたので,これはその新聞としての立場を貫いているのかもしれない。
 一方で,ほかの新聞はその「数字」には触れていない。同じ「意味(事実)」であっても,伝える者によって,「形」としての「情報」が異なってくる例と言えるだろう。

ほんとうの「意図」はなんなのか?

可部線存廃問題では,「輸送密度」という「数字」も,1つのキーワードになっていた。「輸送密度」とは,1日あたりにある断面をどれだけの人が通過するかを示す数字である。これは,「輸送人キロ÷営業キロ÷営業日数」で求められる(単位 人/日)。「輸送人キロ」は,輸送人数×乗車キロの合計である。
 可部線廃止を再検討させるために必要な「輸送密度」としては,800人/日が求められていた。しかし,JR西日本の発表による数値は487人/日(可部線対策協議会による独自調査では506人/日)という実態が報告された。ところで,およそ500人/日というのは,どういう状況を示しているのだろうか。単純に言えば,毎日250人が全区間を往復しているということである。1日の列車本数は8本(加計−三段峡は5本)なので,1列車あたり平均しても30人は乗っていることになる。ディーゼルカー1両の座席はおよそ70名分なので,少なくとも車内が「ガラ空き」という印象を受けることはないだろう。もっとも,深夜や早朝の便で終点に降り立つ人は実際に数人しかいないこともある。しかし,それを考慮すれば,便によってはむしろ満員に近い状態もあることは,実際に乗ったことがない人でもわかることである。
 もしかすると,「乗客が1人,2人」という数字を伝えた新聞の意図は,可部線の実態について「間違った認識を持っている」JR西日本側の態度を全国の人に気づかせることにあったのだろうか?


← 前のページ もくじ 次のページ →