撮影日記


1997年12月29日(月) 天気:はれ

今年もあと少し

早いもので今年も残すところあと2日だけである。
 私自身,今年1年間にどんな写真を撮ってきただろうか。簡単に振り返ってみたい。今年は例年の如く「初日の出」からはじまった。冬から春にかけては,平和公園でいろいろな被写体にチャレンジした。そして3月には,モデル撮影に初挑戦。4月には,ヘール・ボップすい星もちゃんと撮った。5月から10月にかけては,三段峡の上流部に何度も通った。11月には紅葉を追いかけたが,今年は常清滝には行けなかった。また,視点をかえて「お散歩写真」にも挑んでみた。
 私が撮影する写真は,いわゆる風景写真である。風景写真は記録でもある。美しかった瞬間の記録といえる。だから,誰だってその日その時そこへ行けば撮れる写真だ。ただ,撮るだけならそれでいい。風景写真には,それをいかに「見せるか」という問題も大きく存在すると感じるようになった。単品で見せたほうが効果的な写真もあれば,組写真にすることが効果的な写真もある。風景写真のポイントをまとめると,次の3点になるのではないだろうか。
 (1) 絵になるオブジェクトを見つけ出す。
 (2) そのオブジェクトに対してもっとも効果的な構図を見つけ出す。
 (3) もっとも適切な手法で撮影する。
 これらには観察,知識,技術を必要とする。そしてそれらを総合的にまとめることが,写真に対するセンスと言えるだろう。
 「写真は機材じゃない,センスだ」という声をよく聞く。彼らは,センスを磨くためにいろいろと撮影してみよ,と説く。もっともなことである。ただし,写真に関する知識はやはり必要である。そして,どのような技術と機材を用意しておけばよいかを正しく把握しておくことがやはり不可欠なのだ。だから機材などへのこだわりを否定してまでセンスの重要性を語る人の話しは,話半分くらいに聞いておけばよい。
 知識も技術も機材もそこそこのものをもっている,でも,なんかもう1つ自分なりに満足できる写真が撮れない。そう感じている方もあると思う。あと足りないものはセンスだ,と考えてとにかく撮りまくっていないだろうか。たぶん,それではいつまでたっても進歩はないであろう。自分なりの「主題」を見つけ出そう。とにかく欲張らないことだ。あれもこれもと狭い画面につっこんでも散漫になるだけ。「主題」について,最後にどうやって写真を見せるか,そこまでの仕上がりを予想できてこそ,はじめて写真を撮ったといえると思う。たくさん撮って1つくらい当たりがあれば,というのは単なるフィルムに「写った像」であって,決して「撮った写真」ではない。写真のディジタル加工も,行きあたりばったりで作った画像はたまたまできた像に過ぎないわけだ。
 「主題」を見つけるために貪欲に被写体を探し求めることは,大切である。


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