撮影日記


2022年09月18日(日) 天気:曇ときどき晴 台風接近

奥原写真機製作所はそこになかった

「OKUHARA CAMERA MFG CO.,LTD. OSAKA JAPAN」という銘板のついた組立暗箱をよく見かける。組立暗箱は,どちらかといえば写真館など業務用のカメラであり,カメラ雑誌に広告を載せるような一般向けの製品ではない。そのため,いつごろ販売された製品なのか,わからないものが多い。そもそも,この種の組立暗箱は銘板のついていないものも多く,銘板があって名前がわかるだけでもありがたい。
 OKUHARA CAMERAも,雑誌などで広告を見かけることがない。いつごろの製品なのかを知るには,別のアプローチが必要だ。「OSAKA」を手がかりに,電話帳(2022年3月26日の日記を参照),「大阪府工場名鑑」(2022年3月29日の日記を参照),「全国工場通覧」などの資料に掲載がある「奥原写真機製作所」がその正体だと考えられる。それらの資料への掲載時期からは,昭和30年くらいから,少なくとも昭和42年までは活動していたらしいことがわかる。この活動時期,とくにいつごろまで活動していたのかについて,もう少し絞り込みたい。
 また,奥原写真機製作所の住所は,「住吉区我孫子東5-40」であると記載があるが,現在,そのような住所は存在しない。住居表示の変更がおこなわれて,我孫子東は3丁目までになっているのである。また,高層の市営住宅が建てられるなど区画整理がおこなわれた地域でもあり,その所在地がはっきりしないので,その場所も特定したい(2022年5月5日の日記を参照)。

そこで,大阪市立中央図書館を訪れた。そこに所蔵されているにある古い住宅地図を参照するためである。西長堀駅7番出口に直結しているので,とても訪れやすい。3階の郷土資料コーナーで閲覧を申し込める。

「大阪市全商工住宅案内図表(住吉区東部)昭和36年版」を見たところが,「住吉区我孫子東5-40」に「奥原写真機製作所」というものは存在しないのである。その番地には,ふつうの民家のようなものが8軒あるだけ。「大阪府工場名鑑」から,代表者の名前が「奥原定一」さんであることはわかっている(*1)が,そのなかに「奥原」さんの家もない。
 その周辺をさがしてみたところ,我孫子筋の東側に「奥原」という家と「奥原写真工場」というものをみつけた。その住所は,「住吉区我孫子東5-123」になる。電話帳や「大阪府工場名鑑」などに載っていた住所と一致しないのは,なぜだろうか。「奥原写真機製作所」の謎が,深まっていくのであった。

*1 「大阪府工場名鑑(昭和40年版)」(大阪府編) (国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2505753/502


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