撮影日記


2022年04月17日(日) 天気:晴

「関式サロン露出計」初期型と新型

アルスの雑誌「カメラ」に掲載された広告から,「関式サロン露出計」の発売時期は,1938(昭和13)年11月ころであることがわかった。そして,広告を追う過程において,「関式サロン露出計」は1940(昭和15)年3月ころに,「初期型」から「待望の新型」にモデルチェンジされたらしいことがわかった(2022年4月12日の日記を参照)。
 では,「関式サロン露出計」の「初期型」と「待望の新型」には,どんな相違点があるだろうか。

このたび,あらたに「関式サロン露出計」を入手した。丸型のものである。
 昨年末にお借りした丸型のものと並べたところ,ぱっと見た目にも,まったく雰囲気が違っている。左側があらたに入手したもの,右側が昨年末にお借りしたものである。見るからに,右側のほうが,文字が詰め込まれていることがわかる。フィルムの感度を示すためのスケールとしては,DIN(x1/10)が記されている。DINの感度は,1934年にドイツ標準規格として採用されたものである。「関式サロン露出計」がはじめて発売された1938年末における,最新の,統一された感度表記方法である。

文字が詰め込まれているのは,裏面も同様である。裏面には,光度係数の表がある。光度係数は,「関式サロン露出計」を使うときに,基準として意識しておく必要がある数値である。そこに大きな違いがあり,右側のほうは光度係数が,北緯20°〜30°,北緯30°〜40°,北緯40°〜50°という3つの地域に区分して示されている(2021年12月29日の日記を参照)。それに対して左側のほうは,北緯30°〜40°の光度係数だけが示されている。

そのかわり,「各種感光度比較」という表があって,DIN(x1/10)のスケールとSch(ドイツ・シャイナーのスケール),N・S・G(日本写真学会のスケール)との関係がわかるようになっている。N・S・Gのスケールは日本写真学会によって1935年に試案がまとめられてその後に決定されたもの,シャイナーのスケールは19世紀から乾板の感度の測定に使われていたものである。このころにはまだ,シャイナーのスケールになじんでいた人も,少なからず存在していたということだろうか。
 このあたりのことについては,たまたま手元にあった「アサヒカメラ」1935(昭和10)年4月号に掲載されていた「日本式感光度に就て(福島信之助)」という記事が参考になる。それまで乾板の感度表示に使われてきたH&Dやシャイナーの方法は,あたらしいフィルムの測定には適さなくなっていたことから,あたらしい感度測定方法が必要になっていたことがまず語られている。そして,ドイツにおけるDIN制定の流れが紹介され,さらに日本独自の動きとして,日本写真学会による感度測定法の試案が1935(昭和10)年2月にまとまったことが報告されている。

あらためて,アルスの「カメラ」などに掲載されていた広告の製品写真を精査する。古い雑誌の広告なので,写真はさほど鮮明ではないし,製品写真として載っているのは表面だけである。それでも,「待望の新型」になる前と後とで,はっきりとわかる違いがあった。それは,中心部の「サロン露出計 關式」という文字の上に,なにか書かれているか,いないか,という点である。「待望の新型」になる前は「サロン露出計 關式」という2行だけ,「待望の新型」になってからはその上になにか書いてあって3行になっている。
 その点に着目すると,中心部に「新案特許」の文字があるかないかが,識別のポイントということになる。

つまり,「新案特許」のない左側は「初期型」であり,「新案特許」のある右側が1940年以降に発売された「待望の新型」ということになる。
 このことを,アルスの「カメラ」に掲載された広告で確認する。1939(昭和14)年8月号までは広告の隅に「新案特許願」という文字があったが,1939(昭和14)年9月号からは「新案特許」という表記に変更されていた(そこ以外の広告の内容は,変化なし)。そして,1940(昭和15)年3月号で広告が「待望の新型」に切り替わっても,そのまま「新案特許」の表記は残っている。
 「新案特許」は,「昼でも夜でも」にかかっているということのようである。このことは,戦後のUA型の説明書に「昼でも夜でも(実用新案登録済)」と書かれていたことと整合しそうである(2022年2月24日の日記を参照)。しかし,実用新案権の保護期間は,大正10年の「実用新案法」(*1)によって「登録から10年」ということになっている。広告の表記が「新案特許願」から「新案特許」にかわった1939年8月ころに登録されたとすれば,1949年8月ころまでに保護期間は終了する。これは「昼でも夜でも」とは別の登録内容で,「昼でも夜でも」の登録は「待望の新型」の直前だったとしても,1950年になるころには保護期間は終了する。つまり,1951年秋にUB型が発売されるまでには,保護期間が終了していると考えられる。ただ,ここでは「新案特許」という不思議な用語が使われており,実用新案制度との関係はどうなっているかなどは確認できていない。
 ともかく,このたび入手した丸型の「関式サロン露出計」は,「初期型」だったのである。「待望の新型」には,「南樺太」や「満州国」などの地名が記載されているので,話題としてとりあげやすいだろう。しかし,「関式サロン露出計」を,1980年代まで続いた「セノガイド」の前身であるという点を重視するならば,やはりその「初期型」こそが,大げさに言えば歴史的に重要な存在なのである。

*1 実用新案法改正・御署名原本・大正十年・法律第九十七号 (国立公文書館デジタルアーカイブ)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/Detail_F0000000000000027086
 第十條 實用新案権ノ存續期間ハ登録ノ日ヨリ十年ヲ以テ終了ス


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