撮影日記


2016年11月03日(木) 天気:晴

酢で磨く 素手で磨く
ゴールド偽ライカ 金ぴかの輝きがよみがえる

紅葉などを撮るためにそれなりの名所に行くと,同じように写真を撮っている人に出会うことが多い。そのような場所でNikon F3を使っているとときどき,年上と思われる人から「ぼくはF5を使っているよ」のように,(やや上から目線で)話しかけられることがある。同じような場面でも,Mamiya Universal Pressを使っていると,「お仕事ですか?」のように,(やや下から目線で丁寧に)話しかけられることがたまにある。TACHIHARA Fielstandを使っているときに話しかけられたことは,ほとんどない。
 カメラに関心が高い人が集まるような場所では,どんなカメラを使っているのかは大きく影響する。「見た目」は,とても重要なのである。
 そのような場所で「ぼくは○○を使っているよ」のように話しかけられるときに示される機種は,ニコンかキヤノンの最新の最高級機であることがほとんどだ。ニコンやキヤノンの高級機であれば,それを所有していることも自慢のネタにできるということである。そう考えると,「ぼくはライカを使っているよ」と話しかけられることがあってもおかしくない。所有していることを自慢するなら,ニコンやキヤノンよりも,ライカのほうがずっとポイントが高いはずだ。カメラ店の店頭で「ライカを所有していること」を自慢されたことがあるのだから(1997年7月9日の日記を参照),撮影地において「ライカを所有していること」「ライカで撮っていること」を自慢されることがあっても,おかしくない。
 だが,実際にそういう経験はない。
 このことからは,次のようなことが可能性として考えられる。
 まず,私が撮影に行くような場所には,ライカを使っている人は来ない,ということが考えられる。ライカは「いわゆるレンジファインダーカメラ」なので,どっしりと構えて風景を撮るよりも,いろいろな場所で身軽に撮るほうが適しているだろう。
 ほかには,ライカで実際に撮っているような人は,他人がどんなカメラを使っていようとも気にしない,という可能性がある。「ライカを所有していることを自慢する人」と「ライカで実際に撮っている人」は,ユーザ層が違う可能性である。
 あるいは,ライカのユーザは,ニコンやキヤノンのユーザにくらべて圧倒的に少ないことが考えられる。単に,遭遇する確率がきわめて低いというだけのことなのかもしれない。

そういえば,1つ思い出したことがある。ずっと以前,東京へ出張に行った折に,浅草寺でゾルキーを使っていたら,「おお,いいカメラ使っているねえ。ぼくももってたよ,ライカ。」と,話しかけられたことがあった。でも,よく考えればこのときも,「ライカをもっていた」であって,「ライカで撮っていた」ではない。やはり,「ライカで撮っている人」は他人のカメラなど気にせず,「ライカをもっている(もっていた)ことを自慢したい人」が声をかけてくるということであろうか。
 「これはライカじゃないです,ソ連製のゾルキーです。」と応じても,「いやいや,ライカはいいよねえ。」と,まるで聞く耳をもたない。やはり,「ライカをもっていた」ことを自慢したいだけだったのだろう。もっとも,私が使っていたゾルキーにも問題はある。それはゾルキーでありながら,「Leica」という文字が刻まれた「偽ライカ」だったのだ(笑)。

もっとも,いかに「Leica」と書いてあろうとも,これがライカではないことは一目瞭然である。このゾルキーは前面にシンクロ接点があって軍艦部が厚くなっている,ライカにはありえないスタイルなのだから。そう考えると,「ライカをもっていた」という話も,少々,疑わしいことになる。実際に所有していたとしても,ほとんど使っていなかったのではないだろうか,としか思えない。

ただ1つだけ間違いないのは,このゾルキーが目立つカメラだったということだ。
 決して人が少なくない浅草寺で,めざとくこのゾルキーを見つけ,声をかけてきてくれたのだから。
 そのときは金ぴかだったゾルキーも,年月を経て,しだいにくすんできた。くすんできた色も悪くないのだが,金ぴかの姿をふたたび見たいと思った。魔が差した,というやつである。

くすんだ金属製品は,「酢」で磨くとよい場合が多いようだ。酸が,皮脂に由来する汚れや錆びなどを落としてくれるとのことである。写真を趣味にする者であれば,手元に酢酸くらいは常備しているだろう?
 酢酸に素手でふれたせいか,指先が荒れてきた。わずかだからと油断せず,ゴム手袋など使うべきだったかな。


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