撮影日記


2015年04月13日(月) 天気:雨

APSフィルム(IX240カートリッジ)の詰め替えは
無理なのか?

中古カメラを扱うお店にある,「ジャンクコーナー」は楽しい場所である。
 カメラ店において,基本的に高価な商品であるカメラやレンズは,鍵のかかるショーケースにおさめられているのがふつうだ。そして店員さんに頼んで,興味のある商品を出してもらい,実際に触って確かめたり,店員さんに質問をしたりして,それを購入するかどうするか検討をおこなうことになる。
 それに対して「ジャンクコーナー」は,ふたも扉もないカゴに,カメラやレンズが並べられていたり,積み上げられていたりする。ここの商品は,自由に触り放題だ。ただし,「ジャンクコーナー」のカメラやレンズは,「ジャンク扱い」である。「ジャンク扱い」とは,「壊れていますよ」と宣言されている,ということである。そして,「ジャンク扱い」の商品には,きわめて安価な価格がつけられている。「壊れている」ということはすなわち,カメラとして機能しないわけで,せいぜい部品取りくらいにしか使えないのだから,ちゃんと動作する商品にくらべて安価な価格がつけられているのは当然だ。
 実際には,壊れていないものも,ジャンク扱いされていることが少なくない。「壊れている」場合のほかにも,なんらかの事情があって,通常の中古品ほどの価格がつけられない場合には「ジャンク扱い」されるようだ。その事情としては,動作には影響がないものの,外見に大きな傷がついている場合がある。実用的に使い倒したい人にとっては,それはむしろ好都合だろう。どうせ自分が傷だらけにしてしまうのに,すでに傷がついているだけで安価に買えるのだから。
 少し古い廉価版のカメラも,じゅうぶんな価格がつけられずに「ジャンク扱い」されることがある。うんと古ければ骨董品的な価値もでるだろうし,あまり売れなかった機種なら希少価値がでるかもしれない。だが人気のあった廉価版機種なら,欲しい人はすでにもっているだろうし,いらない人はほんとうにいらないのである。これでは,値段のつけようがない。

「ジャンクコーナー」には,壊れていないけれども使えないカメラ,というものもある。それにあうフィルムが供給されなくなったことにより,壊れていなくても使えないカメラになってしまったものだ。現在,プロやマニアでもないふつうの人が目にするフィルムは,「35mmフィルム(135フィルム)」とよばれるものだけになっている。プロやマニアなら,いまでも「35mmフィルム」のほかに,「ブローニーフィルム(120フィルム/220フィルム)」ともよばれるロールフィルム,4×5判のシートフィルム,富士フイルムの「チェキ」用インスタントフィルムが発売されていることを知っているだろう。「ジャンクコーナー」には,それ以外の,すでに発売されなくなった規格のフィルムを使うカメラが,埋もれているのである。
 「ジャンクコーナー」でよく見られるカメラのうち,フィルムが供給されなくなったので使えなくなったカメラとしては,「APSカメラ」がある。「APS」とは「Advanced Photo System」の略で,フィルム,カメラ,現像所で情報を共有できる,まったくあたらしいシステムとして1996年に発売された。そして,2011年に,販売の終了が発表された(2011年7月6日の日記を参照)。さいしょの発売からいまだ20年もたっていないためにカメラに骨董品的な価値は生じていないし,一部の高級機を除けば廉価版のコンパクトカメラばかりで,そもそも高値のつきにくいものである。だからフィルムの販売終了が発表されるまでもなく,「ジャンクコーナー」の常連となっていたものだ。「ポケットフィルム(110カートリッジフィルム)」や「ミノックスフィルム」を使うカメラのように,劇的に小さなカメラが実現されていたならば,画質面で不利であっても,別の魅力があっただろう。「ベストフィルム(127フィルム)」を使うカメラのように古くからある規格だと,骨董品的な名機もたくさんあっただろう。APSは,結果として中途半端な存在だったようだ。

そんなに古くないがゆえに,動作するカメラはまだたくさん現存する。交換レンズの充実した一眼レフカメラも,発売されている。これらをなんとか使う方法はないものか?
 「APSフィルム(IX240カートリッジフィルム)」からフィルムを取り出し,35mmフィルムを切り出したものに詰め替えてみた。これをAPSカメラ「Canon EOS IX50」に装填してみよう。EOS IX50が使えるようになるなら,コンパクトな一眼レフカメラとして,使い道もあるというもの。通常のEOS用レンズが使えるので,交換レンズにも困らない。
 もちろんカートリッジの識別窓は,「未使用」状態に合わせておく。さあ,装填した結果はどうなった?

装填直後には,カートリッジの接点を読み取って,ISO感度や何枚撮りフィルムであるかを認識した。そしてフィルムを巻き取ろうとするが,やがてエラー状態になって停止する。カートリッジが「未使用」状態になっていたからフィルムを使おうとするものの,35mmフィルムから切り出して詰め替えたフィルムには本来の「APSフィルム」にあるべき磁気記録層がないためか,結局は異物と認識されてしったようだ。「APSフィルム」の詰め替えは,簡単にはできないようである。詰め替えはあきらめることにしたが,ここで大問題が発生。カートリッジが取り出せないのである。巻き戻りボタンを押してフィルムを巻き取り,カートリッジを取り出す操作をするが,「CLOSE」がディスプレイに表示されて,蓋が開かない。

これは,困った。磁気記録層がないと,巻き取ったことすら認識されないのか?カートリッジが取り出せないと,空シャッターで遊ぶこともできない(^_^;
 しばらくいじっていると,巻き取ったことが認識されたようだ。だがEOS IX50の蓋は,なんか開けにくい。開けそこなった結果,ふたたびフィルムを装填した状態になってしまい,同じようにいちどは認識するもののエラーになる。そしてこんどは,なんど巻き戻し操作をしても,巻き取りが完了しない。
 電池を抜いて放置し,翌日もういちど巻き戻し操作をしてみたら,今度は巻き戻しが完了して,蓋を開けることができ,カートリッジを取り出すことができた。

そこでやめておけばよかったのだが,もう一度,動作を観察しようと思い,カートリッジを装填した。
 装填後の反応は,同じ。結局はエラーである。巻き戻し操作をしても,巻き戻しが完了しなかったので,また電池を抜いてしばらく放置した。
 ところが今度は,巻き戻しが完了しない。電池を抜いて1日放置することを繰り返しても,やはり巻き戻しが完了しない。どうなっているのだ?
 異物だと認識したなら,すなおに吐き出してもらいたいものだ。フィルムを不用意に吐き出すと,撮影したコマが感光してしまうわけだから,開かないように動作するのはよくわかる。しかし今回は異物だと認識したはずだ,だったら感光することなど心配せずに,積極的に吐き出してもらいたい。
 壊れることを覚悟で,蓋を無理にこじ開けた。そして,カートリッジを半ば破壊するように無理矢理に取り出した。フィルムが軸から外れたようで,完全に巻き取ることができず2cmほどが残っていた。それが開かなかった原因のようだ。幸い,カメラは壊れなかったようで,空シャッターで遊べるようにはなった。

ともあれ,110カートリッジフィルムや127フィルム,あるいはミノックスフィルムのように,単純な巻き直し,詰め替え(2010年2月19日の日記を参照)では,IX240カートリッジフィルムをつくることはできないようだ。これからも,APSカメラはただ寂しくジャンクワゴンに埋もれていくのみであろう。これは,積極的に保護しなければ,早晩,完全に姿を消してしまうであろう!とはいえ「使えない」カメラであることが,あまりに悲しい。
 私はこれまで,ディジタルカメラを「消耗電気製品」として揶揄してきた。もちろんこれは半分冗談だが(ということは,半分は本気なのか?),少なくとも絶対的な画素数が十分ではなかった初期のコンパクトディジタルカメラにおいては,モデルチェンジのたびに撮像素子の画素数が増え,画素数が増えると旧機種は画質面で絶対的に不利になって,すぐに価値を失うという状況が見られた。これを「所詮は短寿命の家庭用パソコン周辺機器」「消耗電気製品」と言わずして,なんと言おうか。そんな製品であっても,現在の「APSカメラ」の惨状とくらべれば,「まだ使える」という意味で,初期のコンパクトディジタルカメラのほうがはるかに「よい製品」である。

歴史に「もしも」は禁句だと言われるが,もしもAPSフィルムと35mmフィルムとに互換性があったなら,もう少し状況が違っただろう。互換性がなかったことを,現像所やユーザにシステムを全面的に買いかえさせようとした「フィルムメーカーの横暴」だと評価してもよいだろうか?KODAKの現状は,過去になんどもシステムの全面的な買いかえを強要してきたことへの報復のようなものなのだろうか?いや,それは考えすぎか。ただの,時代の流れというものか。互換性を求めるのは,メーカーの商売の都合を無視した,ユーザの甘えなのか?このあたりは,人によっていろいろな考え方があるだろう。20年後,50年後,100年後には,どう評価されているだろうか。
 ところで初期のコンパクトディジタルカメラを「消耗電気製品」と揶揄してはきたが,もちろん最初期のものについては,「あたらしい時代の流れをつくった」「エポックメイキングな製品」として,おおいに敬意を表したい。


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