撮影日記


2012年07月30日(月) 天気:晴

「印画紙」って言葉はいつまで通じるだろうか

8月10日は「バイテンの日」である。8月10日には,大判写真(できれば,8×10判)の撮影を楽しもう!そして,その翌日8月11日は「ミノックス判の日」である。8月11日には,ミノックスサイズの撮影を楽しもう。8×10判の大きさは8インチ×10インチで,市販の機材で撮影が楽しめるほぼ最大のサイズといえる。一方,ミノックス判の大きさは8mm×11mmで,市販の機材で撮影が楽しめるほぼ最小のサイズといえる。最大サイズの翌日に最小サイズを楽しむというギャップも,楽しさを倍増させてくれるというものだ。これらのサイズがどれくらい違うかは,2010年9月17日の日記を参照してもらえればわかりやすいと思うが,バイテンの面積は一般的なライカ判の約60倍であり,ミノックス判の面積はライカ判の約1/10にすぎない。
 ところで今年の「バイテンの日」「ミノックス判の日」は,仕事の関係で千葉に行く予定である。出張のおともとして,超小型のカメラはとても魅力的なものとなる。「ミノックス判の日」には,お昼過ぎには仕事が解散となるので,アクメルMDを連れて行ってミノックス判の撮影を楽しもうと思う。ところがその前日が「バイテンの日」だからと言って,大判カメラを連れて行くのは困難である。そもそも広島駅を6:00に出発する朝一番の「のぞみ」に乗っても,仕事の現地到着は12時くらいになる。そのまま夕方まで仕事なので,撮影などを楽しむような時間はない。

ということで,一足早く,「バイテンの日」とする。8×10判を撮影できる機材をもっていないので,今回もOkuhara Cameraの組立暗箱の出番だ。去年までの「バイテンの日」には,少しでも8×10判に近い四つ切1/2判で撮影した(2011年8月10日の日記を参照)が,今日は少しお手軽にカビネ判での撮影とする。
 撮影場所は,本川町電停近くの歩道橋の上。ここからだと,本川町電停に停車する広島電鉄の路面電車を撮りやすい。まだ日は長く,仕事を終えた後でもまだ,電車の正面に夕陽がさしこむ。低感度の印画紙での撮影だから,とにかく光量がほしいので,好都合である。現像は,軟調現像液とされるD23の処方にしたがい,それをさらに1:3に希釈したものでおこなった。

Okuhara Camera, FUJINON W 210mm F5.6, FUJIBRO FM2で撮影。ILFORD MG4に密着プリント。

歩道橋の上に着いたときには,すでに18:00を過ぎていた。早くしなければ,太陽が沈んで光があたらなくなってしまう。歩道橋の上には先客がいて,隅の方で手すりにカメラを固定して撮影しているようにも見えたが,言葉を交わすヒマはない。失礼,すまぬ。
 実際に,本川町電停に停車する電車に光があたっていた時間は,そう長くない。18:30近くになると,電停の手間に横断歩道付近まで影が伸びてきたので,そそくさと撤収して撮影場所を変えることにする。先客がいたのとは反対側から降りたので,やはり言葉をかける機会はなかった。重ね重ね,失礼すまぬ。

まだ,日の光があるうちに,原爆ドームを元安川の対岸から狙うことにする。まだ,十分に明るい空にはうっすらと,満月に近い月が見えている。もっとも,薄く雲がかかっているようなので,意識して見ないと気がつかないことだろう。
 撮影を終えたのは,19時近くになったころ。太陽の姿は見えなくなったが,空はまだ十分すぎるほど明るい。地上だって影にはなったが,ふつうに撮影するには困らない程度の明るさは残っている。しかしもう,印画紙での撮影には厳しいだろう。ちょうど用意した印画紙を使い切ったので撤収をはじめたとき,
 「このカメラはいつごろのものですか?」
と,ちょっとたどたどしく声をかけられた。この時期の平和祈念公園には,外国からの観光客と思しき人の姿も目立つ。声をかけてきたのも,そんな感じの3人連れである。ただ,声をかけてきてくれた人は日本語を話しているので,その人が外国からこられたあとの2人を案内している,そういう状況のように思われる。視覚情報としては,目の前にいる人は明らかに日本語のネイティブではなさそうだ。しかし日本語で質問されたのだから,そこは安直に日本語で回答する。
 「たぶん,1960年ころのものです。」
 質問してきた人は,たぶんもっと古いものだと期待したんじゃないだろうか,そんな気がした。連れの2人に対して「nineteens」とだけ言っているように聞こえた。少なくとも「sixties」が聞こえない。あわてて,「sixties」を付け加えさせていただく。でもまあ,そう期待されてもしかたないだろう。Okuhara Cameraのような組立暗箱は,そんな時期から外見的にはほとんど変わることがないわけだから。また,実際にOkuhara Cameraが製造され販売されていた正確な時期を知らないので,そのあたりはっきり言えないのも申し訳ない。続けて「どこの国のものだ?」と問われたが,それはカメラについているプレートを見せることで,日本製であることをわかってもらえた。
 さらに,「どうしてこんなカメラで撮っているのか?クォリティの問題か?」と聞かれた。そこはあっさりと「Yes」とだけ答えれば済んだのかもしれないが,実際には違う。装填してあるのは,フィルムではなく印画紙だ。クォリティは,むしろ低い。しかし,それが説明できない。印画紙に直接に露光するのは,フィルムに露光するのにくらべて階調が乏しくなる,などという説明を英語でするのは私には不可能である。ともあれ,filmでなくpaperで撮ることで,old styleな絵になるんですよ,ということを伝えるのがせいいっぱいだ(伝わったのかどうか,疑問であるが(笑))。

ちょっとした日常会話くらい,英語で苦なくできるようになっておかなければならないなあと思いしらされた夕方のひとときであった。
 だが,相手が日本語のネイティブであったとしても,ちゃんと説明して理解してもらえただろうか?すでに「印画紙」というもの意識されていないとなれば,説明はとてもむずかしいことかもしれない。歩道橋の上の先客に,声をかけられなかったのは幸いだったということにしておこう(笑)。


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