撮影日記


2012年03月15日(木) 天気:雨のち曇

可部線快速のりおさめ

3月は,JRのダイヤ変更の時期である。ここ数年,ダイヤが変更されるたびに,寝台列車が廃止されている(2009年2月13日の日記を参照)。今回の変更では,北陸本線などを経由して大阪と青森とを結ぶ寝台特急「日本海」と,大阪と新潟とを結ぶ夜行急行「きたぐに」とが廃止となる。最後の「日本海」と「きたぐに」が発車するのは,明日(2012年3月16日)の夜だ。ご多分に漏れず,これらの「最後の寝台券」は,発売開始から数秒で売り切れたらしい。残念ながら,私は「日本海」や「きたぐに」を利用したことがない。また,「きたぐに」を見る機会もほとんどなかった。「きたぐに」に乗ってやってくる友人を大阪駅に迎えに行ったときに見たのが,最後だったのかもしれない(2009年12月31日の日記を参照)。そういう事情もあって,個人的には「日本海」や「きたぐに」の廃止には,「いつか乗ってみようという将来の楽しみが減った」くらいの感情しか抱けない。

「きたぐに」「日本海」の廃止のほか,東海道・山陽新幹線から「300系」および「100系」という車両が引退することにも,鉄道好きな人たちは注目しているようだ。
 300系は,「ひかり」より速く走る「のぞみ」用の車両として登場し,それまで220km/hだった東海道・山陽新幹線の最高速度を一気に270km/hまで引き上げたということで,さらなる高速運転を追求した歴史的に大きな意味のある車両といえる。一方の100系は,新幹線としてはじめてのフルモデルチェンジ車両であり,個室や食堂車のある2階建て車両を組みこんだ,どちらかというと快適性を追求した車両であったと言える。
 個人的に300系の廃止には,「残念」や「さびしい」などの感情を抱くことはない。そもそも私は「鉄」ではないのだが,300系車両にはあまりよい印象がないのである。1992年に300系が登場した当初には,「あたらしい車両にもいちど乗ってみよう」と興味をもったことがあったが,実際に乗って,正直なところ「がっかり」という印象しかもてなかった。たしかに,「のぞみ」によって,到達時間は短くなった。それは,重要なことである。だが,乗り心地が,いまひとつなのである。少なくとも普通車については,座り心地などが100系よりも劣って感じたのだ。そのころは「東京SSSきっぷ」といって,ごくわずかな追加料金でグリーン車を利用できる往復割引きっぷがあり,100系の2階のグリーン車を利用することが多かったこともあって,300系の乗り心地があまりよくないことがさらに強く感じられたのかもしれない。また,古くなっていた0系は,山陽新幹線区間では2人掛けシートに改装した「ウエストひかり」として運転されており,私のなかで300系は「100系よりも0系よりも乗り心地が悪い」車両として,印象が悪いのである。また,1996年には最高速度300km/hの500系が登場しており,300系の高速性にもすぐに魅力が感じられなくなってしまったのだった。
 さらには,700系,N700系が登場するにおよんでは,たまたま乗った車両が300系だと「はずれ」と感じるようになっていたものである。
 だから個人的には,100系の引退は「さびしい」し「残念」だが,300系の引退に関してはむしろ,ほっとしたところがあるのだ。関係者には,申し訳ないのだが。

「日本海」「きたぐに」「300系」「100系」が大きな話題になっているのに対し,可部線から「快速」が廃止になることについては,ほとんど話題になっていないように感じる。こういうときの話題性を示す「単位」のようなものがないので単に何倍とか何分の1とか言えないわけだが,誤解を承知であえて書くと,可部線の非電化区間が廃止になったとき(2003年11月30日の日記を参照)の1/100ほどにも話題になっていないのではないだろうか。
 私がこれまでに入手して参照することができた時刻表を見るかぎり,行楽シーズンに三段峡まで直通する快速列車が臨時列車として運転されることがあったくらいで,可部線に毎日運転される定期の快速列車が設定されたことは開業以来2004年10月までなかったようである。また,三段峡まで直通する快速列車も電化区間では各駅に停車していたことが多かった。可部線の電化区間は単線ながら列車の運転本数が多く,臨時列車を割りこませることが容易ではないという事情があるらしい。
 そんな可部線の電化区間に設定された,定期の快速列車が廃止になることは非常に残念に感じる。だからさいごに,可部線の快速列車に可部駅まで乗車して,いろいろな駅を通過することを体験しておくことにした。

「日本海」「きたぐに」「300系」「100系」と同様に,可部線の快速列車の最後の日は明日なのだが,明日は残念ながら夜に予定がある。また,最終日にわざわざ乗車すると,いわゆる「葬式鉄」(なにかの廃止のときにだけやってくるような人を揶揄する言い方)と誤解されかねない。先にも書いたように,そもそも私は「鉄」ではない。だから,そのような誤解を受けることは,甚だ遺憾なことになる。だから,最終日はぜったいに避けなければならない。
 横川駅にやってきた可部線「快速 通勤ライナー」可部行きは,105系とよばれる車両の2両編成である。しかも,103系として製造され,首都圏などで使い古された車両を,105系として改造したタイプの車両だ。私のなかでは決して「旧型」車両ではないが,すでに最初の製造から40年近く経った「古い車両」である。「古い機械が実用されている」ことが好きな私としては,好都合な列車がやってきたことになる。ただしこの車両は,可部線の快速とともに廃車されることはなく,まだしばらくは使い続けられるだろうから,今後もこのような古い車両を体験する機会は多いだろう。

横川駅を発車した快速は,あまり速度を落とすことなく三滝駅を通過し,安芸長束駅に停車する。つぎに下祗園駅を発車すると古市橋駅を通過するのだが,その手前にカーブやポイントがあるせいか,徐行気味に通過する。せっかくの「快速」なのだから,ここは元気よく通過してもらいたいところだが,そうはいかないさまざまな事情があるのだろう。横川駅を発車したときにはかなり混雑していた車内も,下祗園駅までにかなりの人が降りて車内はゆったりしたものになる。大町駅,緑井駅でさらに人が降り,立っている人はごく少ないものになった。あとは終着の可部駅まで,途中の駅には止まらない。梅林駅ではやはりポイントがあるせいか,徐行気味に通過したが,七軒茶屋駅,上八木駅,中島駅ではほとんど減速した感じもなく,快速らしく通過してくれた。そして,可部駅の1番線に到着し,可部線「快速」の体験は終わったのである。

3月17日のダイヤ変更以後は,夕方に3本の運転がある可部線の快速列車は各駅停車の列車となり,うち2本は途中の緑井駅までの運転となる(2011年12月16日の日記を参照)。可部駅まで利用する人にとっては減便となるわけだが,今日の車内のようすを見るかぎりでは,ほとんどの利用者が緑井駅まで(いや,下祗園駅までかも)という状況のようなので,こういう判断をしたくなるのもしかたないことなのかもしれない。
 なお,可部駅から引き返すときに乗った列車は,さらにがら空きの状態であった。


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