撮影日記


2012年02月17日(金) 天気:曇ときどき晴 ときどき雪ちらほら

虫の知らせというのだろうか?
すなおに新幹線に乗って,正解だった。

明後日,日曜日には大阪で仕事がある。今回は日程に余裕があるので,在来線の普通電車を乗り継いで行こうと考えた。在来線でも十分に行けるときは,やはり在来線を使うのが楽しいのである(2010年2月26日の日記を参照)。さて,広島駅を18:20に発車する電車に乗るように職場を出たのだが,電車に乗る直前になって急に面倒になり,新幹線に乗ることにした。さすがに週末の夕方の便は,空席が少ない。できればB席(3人掛けの中央)だけは避けたく,かろうじてC席(3人掛けの通路側)を確保した。広島駅を出発してしばらくすると,車内の案内表示に「西明石で特急とトラックが衝突」という事故が報じられた。そのため,在来線の神戸と姫路との間で,すべての列車の運転を見あわせており,運転再開までにはそうとうな時間がかかるとのこと。
 どうやら,新幹線を利用するのが正解だったようだ。新幹線は,事故の影響もなく,定刻に新神戸に到着した。新神戸まで,B席にもA席にも誰も乗ってこず,新神戸からB席に乗ってきた人があったので,直前にキャンセルがあったのだろう。
 ともあれ,新幹線は定刻に新大阪に着いた。在来線に乗りかえて,大阪駅に向かう。駅では「新快速 姫路行き」と案内されていたが,実際にやってきた新快速電車の行き先表示は「大阪」になっていた。まだ,事故による運転見合わせが続いているようだ。出発直前に,急に面倒になって新幹線に乗ることにしたのは,いわゆる1つの「虫の知らせ」というやつだったのだろうか。

新幹線に乗ったので,梅田界隈に到着したのは20時台である。この時刻なら,まだ八百冨写真機店は営業中だ。まずは,大阪駅中央店に立ち寄る。あいかわらず,ジャンクカメラ,ジャンクレンズが豊富で,楽しいお店である。500円の値札がついたキヤノンFXが気になったが,どうもプリズムが激しく汚れているようである。いまさら実用する気はないし,シャッターはちゃんと動いているようだが,今回は見送ることにした。また,コダックの初期のポケットカメラと思われるものには105円の値札が貼られていたが,これだけを救出するというのもさびしいので,これも見送ることにした。
 つづいて,127フィルムとミノックス用フィルムとを補給するために,閉店間際のディアモール店にも立ち寄る。ショーウィンドウから強烈な視線を感じ,そちらを凝視してみれば,そこには以前から出会いを求めていた「リコーフレックスIII」の姿があった。

「リコーフレックスIII」は,1950年に,当時としては驚異的な低価格で発売された二眼レフカメラである。そのシャッター速度はBのほかには3段(1/25,1/50,1/100)しかなく,3枚玉のビューレンズとテイクレンズとがギアで連動するしくみをもち,ボディはダイカストではなく板金構造である。機構や構造は簡素であるが,きっちりと写ることから,大ヒット商品になったカメラだ。いわゆる「二眼レフカメラ」ブームの嚆矢となったカメラであり,1957年の「リコーフレックスホリデイ」まで,低価格二眼レフカメラとして息の長いシリーズになったカメラでもある。
 ただ,カメラの状態は,すこぶる悪い。ボディの革の多くは失われており,残った部分もぱりぱりに劣化して崩壊寸前だ。ボディには,さびが浮いている部分もある。シャッターはいちおう動作しているようだが,レンズはかなり汚れており,レンズの動きもよろしくない。はっきり言って,ジャンク品である。また,「リコーフレックスIII」といえば,ポップな書体のネームプレートも特徴的であったのだが,この「リコーフレックスIII」は後のものと同様の書体のネームプレートをもつ後期型である。しかし,底面の三脚ねじの周囲には,求めていたあの文字列,「MADE IN OCCUPIED JAPAN」があった。だから,救出することにした。救出にかかった費用は,1050円である。

新幹線に乗ることにした「虫の知らせ」は,在来線の事故のことだけではなく,こんなカメラとの出会いがあることも,教えてくれたということだろうか。

ともあれこれで,譲っていただいていた「リコーフレックスIII」のケースが活用できるというものだ(2009年5月16日の日記を参照)。ただ,ケースには前期型のロゴがついており,今回入手した後期型ボディのロゴと一致しないのが,ちょっと惜しい。


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