撮影日記


2011年07月06日(水) 天気:雨

APSフィルムの終焉
また1つ,フォーマットが消えていく
富士フイルムがAPSフィルムの製造・販売の終了を発表

7月1日に,PENTAXのディジタルカメラに関連する事業が,RICOHに譲渡されることが,RICOHおよびHOYAから発表された(*1,*2)。これによって,RICOHは一般消費者向けの事業を中心にディジタルカメラ事業を強化できるとしており,HOYAはそれ以外の事業に経営資源を集中できるとしている(*1)。その結果として,「PENTAX」というブランド名は,RICOHとHOYAとがそれぞれ,別の分野で使い続けることになる。「PENTAX」というブランド名は残ることになるわけだが,それを使う会社が別のものになるというのは,いまひとつすっきりしない。まあ,しかたのないことか。なお,PENTAXのディジタルカメラに関連する事業がRICOHに譲渡されるのは,2011年10月1日付の予定とのこと(*2)。
 一般向けのカメラに限定して見れば,「PENTAXがRICOHに吸収される」という衝撃的な発表だったわけだ。その興奮も覚めない今日,さらに衝撃的なニュースが飛びこんできた。

富士フイルムが,「APSフィルム販売終了のお知らせ」を発表したのである(*3)。

ディジタルカメラの普及の陰で,フィルムの消費量は激減していっていた。たとえば「日本カラーラボ協会」が公開している「ロールフィルムの国内出荷本数推移」のデータによれば,2003年は3億1028万本だった(*4)のが,2006年には1億2457万本になっており,2010年にはさらに減少して3434万本2651万本になっている(*5)。この間に,アグファやコニカミノルタが,写真用フィルムの製造から撤退をしている(2006年1月19日の日記を参照)。さらに,ロールフィルムとは関係しないが,ポラロイドもインスタントフィルムの製造・販売を2008年夏に終了した(特集「撮影日記」〜さらば,ポラロイドを参照)。
 需要が減るから,供給も減る。至極,当然のことであろう。しかし,減ったとはいえ,まだ数千万本もの需要がある。メーカーは,製品ラインアップを精選し,少しずつ価格をあげるなどして,供給を続けてくれている。以前にくらべて随分と価格があがったような印象もあるが,まだ「とても手が出ない」という状況にはなっていない。実に,ありがたいことではないか。メーカーの努力には,敬意を払いたい。そんな流れのなかで,富士フイルムが発表した「富士フイルムの使命は,写真文化を守り育てることであります。」(*6)ということばに,フィルムを使い続ける人は希望を託しているのである(2006年1月20日の日記を参照)。

その発表から,4年。
 富士フイルムも,フィルムや印画紙等のラインアップの精選を続けてきた。その一方で,いまだにフィルムカメラを発売し,限定的なものではあるが新製品も発表し,もちろんフィルムや印画紙の供給も続けてくれている。種類は減ったが,モノクロフィルムもカラーネガフィルムもカラーポジフィルムもある。しかしながらついに,2009年には,110フィルムの製造・販売が終了した(2009年7月20日の日記を参照)。
 そして,APSフィルムも製造・販売の終了がアナウンスされたのである。
 コダックの日本語ウェブサイトからは,すでにAPSフィルムのラインアップは消えている。問い合わせてみたところ,「2010年12月をもって,製造・販売を終了しました」とのこと。富士フイルムの在庫が市場からなくなった時点で,あたらしいAPSフィルムは入手できなくなるということだ。なお,コダックのヨーロッパ各国向けのウェブサイトには,まだAPSフィルムのラインアップが掲載されている。ただし,それもよく見れば「終了しました」という一文が付記されている。

この件でとくに指摘しておきたいのは,APSの短命さである。
 APSは,Advanced Photo Systemの略で,1996年に発売されたシステムである。APSで使うフィルム(IX240フィルム)には磁気記録層があり,そこには撮影日時のほか,プリントサイズ,プリント枚数,コメントなどが記録できるようになっている。それらの情報は,現像所でそのまま利用できるほか,磁気記録を利用してフィルムを途中で交換する機能をもったカメラも登場した。
 APSの登場は,現像所の機械も含めた,写真システムの大規模な変化だったのである。それが,わずか15年で幕を閉じることになるわけだ。この短命さは,1982年に発売され1998年末に製造・販売が終了したdiscフィルムに匹敵するものである(1999年7月31日の日記を参照)。
 実際には,最後に出荷されるフィルムの有効期限内は現像などの処理がおこなわれるだろうから,すぐに完全にシステムが消滅するわけではないが,現像所の機械が更新されるたびに,APSが処理できる環境が減っていくことも懸念される。

それに対して,110フィルムは,よくがんばったと思う。
 110フィルムは1972年に登場した規格で,「ポケットサイズ」として一世を風靡したが,やがて35mm判カメラの小型化が進むとフィルムがあまりに小さいことから画質面で不利となり,「写ルンです」が1986年に登場した後,1990年代にはいるとほとんど見られなくなった。ただそれから20年あまり製造・販売が続けられ,一部の熱心なファンがそれを利用することができていたのである。

APSが短命に終わるのは,なぜだろうか。

まず,登場のタイミングが悪かったといえるだろう。ディジタルカメラの登場とほぼ時を同じくしているのである。APSが登場した,1996年の日本カメラショーの「カメラ総合カタログ vol.111」を参照すれば,すでに各社からディジタルカメラが発売されている。しかし,一般向けのものはまだ30万画素クラスで価格は10万円を超えている。業務用とされるものは,すでに100万画素を超えているが,価格も100万円を軽く超えている。少なくとも「すぐに」ディジタルカメラが主流になる状況ではない。だから,APSが普及し,発展する余地は,まだまだあると考えられていたのだろう。しかし実際には,ディジタルカメラが主流になるまで,そんなに時間はかからなかったということだ。
 110フィルムが主流になれなかった理由として,マニアが好むような高級機があまり登場しなかったということが指摘されることがある。APSでは,キヤノンやニコン,ミノルタなどからレンズ交換も可能なシステム一眼レフカメラが発売された。キヤノン,ニコンのカメラは,35mm判一眼レフカメラとレンズの互換性もあり,商品のラインアップという面では,さほど問題はなかったはずである。
 だが,110には,少数ではあるが熱心なファンが残った。APSではそのような動きは,あまり見られない。そこには,APSが現像所まで含めたシステムとして,データ管理や自動化が進められたことから,カメラを操作することそのものに「趣味性」が出なかったのではないかということが考えられる。
 さらにいえば,110は「画質に妥協してでもカメラを使いやすく超小型にする」などとして,主流である35mm判と住み分け,共存を目指していたのではないだろうか。一方のAPSは,将来的には35mm判と置き換えることすら目指していて,住み分け,共存がうまくできなかったということではないだろうか。
 このあたりが,APSが短命に終わる理由の1つになるかと思われる。

*1 「リコーによるHOYAのPENTAXイメージング・システム事業の買収合意について」(2011年7月1日 株式会社リコー HOYA株式会社)
http://www.ricoh.co.jp/release/2011/pdf/0701.pdf

*2 「PENTAX イメージング・システム事業の譲渡に関するお知らせ」(平成23年7月1日 HOYA株式会社)
http://www.hoya.co.jp/japanese/news/latest/20110701.pdf

*3 「APSフィルム販売終了のお知らせ」(2011年7月6日 富士フイルム株式会社)
http://fujifilm.jp/information/articlead_0120.html

*4 「国内フィルム市場の動向 ロールフィルムの国内出荷本数推移(2003年〜2006年)」
http://www.jcfa-photo.jp/shiryo/7-1.htm
もとのファイルは削除されているようなので,Internet Archive (http://www.archive.org/) などで参照する必要がある。

*5 「国内フィルム市場の動向 ロールフィルムの国内出荷本数推移(2006年〜2010年)」
http://www.jcfa-photo.jp/archives/bussiness/report/report07.html
http://jpia.jp/jcfa/archives/bis/report/report07.html
2010年の合計が「3434」になっているが,これは「※内レンズ付き」が誤って加算された値になっている。この日記では,「3434万本」を取り消し線で消して,「2651万本」に書きかえておいた。

*6 「弊社の写真事業への取組みについて」(平成18年1月19日 富士写真フイルム株式会社)
http://fujifilm.jp/information/20060119/


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