2010年09月02日(木) 天気:はれ
節操のないマミヤの35mm判一眼レフカメラ
マミヤは,中判カメラのメーカーというイメージが強い。そうだろ,みんな!
そういうイメージをもたれるのも,無理はない。マミヤのカメラといえば,レボルビングバックを装備した6×7判一眼レフカメラ「マミヤRB67」や「マミヤRZ67」,類例の少ないレンズ交換式二眼レフカメラ「マミヤフレックスC」シリーズ,レンズではなくフィルム面を動かすことでピントあわせをおこなうバックフォーカス機構を取り入れた6×6判スプリングカメラ「マミヤシックス」などの「独創的な機構をもった中判カメラ」がとくに有名だからである。そのほか,国産大型システムカメラの先駆ともいえる「マミヤプレス」も忘れてはならないし,最近では中判ディジタルカメラというジャンルの先駆となった「マミヤZD」も長く語り継がれていくカメラであろう。とにもかくにも,マミヤといえば,中判カメラなのである。
しかし,マミヤがこれまでに供給してきたカメラは,中判カメラだけではない。たとえば,「マミヤ16」という16mmフィルムを使う超小型カメラがある。これも,一定の高い評価を得てきたカメラだ。大きなものから小さなものまで,独創機構のマミヤのカメラなのである。
カメラの主流ともいえる35mm判カメラの分野でも,マミヤはさまざまな機種を供給してきた。マミヤで最初の35mm判カメラ「マミヤ35 I型」では,「マミヤシックス」と同様のバックフォーカス機構が取り入れられるなど,やはり独創性をフルに発揮していったのである。
35mm判カメラの主流がビューファインダー式のシステムカメラ(いわゆるレンジファインダーカメラ)から一眼レフカメラに移行する流れに乗るかのように,マミヤも35mm判一眼レフカメラを発売するようになる。1961年に最初に発売された35mm判一眼レフカメラ「マミヤプリズマットNP」は,東ドイツのエキザクタと互換性のあるマウントを採用したカメラだった。つづいて1962年に発売された「マミヤプリズマットWP」は,内径の小さいエキザクタマウントをやめ,内径を広げた独自のバヨネットマウントを採用している。そして,1964年に発売された「マミヤプリズマットCP」では,スクリュー(ねじこみ)式のM42マウントを採用していた。これらは同じ「プリズマット」を名乗っていても,レンズマウントはまったく違うのである(さらにレンズシャッター式の「プリズマットPH」という機種もあった)。
なぜ,マミヤはこれほど節操なく,レンズマウントを変更したのであろうか。たとえば,エキザクタマウントは内径が小さいこと,M42マウントはレンズの位置を定めにくいことから,将来の機構拡充に支障が生じる懸念のあることが考えられる。その反面,エキザクタマウントやM42マウントでは,多くのメーカーから多種多様な交換レンズが供給されているので,ユーザにとっての利便性は高い。一方,独自のバヨネットマウントは,さまざまな機構拡充への対応が可能になるが,システムとしての魅力をもたせるために,独自に交換レンズのラインアップを充実させなければならない。35mm判一眼レフカメラ市場に参入したばかりのマミヤは,これらの問題をどう克服するか,どの道を選択するかについて,判断に迷っていたのではないだろうか。
その後も,マミヤの迷走は続く。
1966年の「マミヤセコール1000TL」からはじまる「TLシリーズ」は,M42マウントでTTL露出計を内蔵した35mm判一眼レフカメラである。TTL露出計とは,レンズを通った光で測定する露出計がカメラに内蔵されているということである。
1972年に発売された「マミヤセコールオートXTL」は,独自のバヨネットマウントを採用したカメラである。M42マウントでは定めにくいレンズの位置も,バヨネットマウントなら問題なく定められ,開放測光が実現できるのである。開放測光とは,レンズの絞りを絞らなくても,TTL露出計が使えるという機構である。現代の一眼レフカメラではあたりまえなものだが,当時としては最先端の機構だったのだ。そして,「マミヤセコールオートXTL」では,シャッター速度優先AEも使えるようになっていた。これらのあたらしい機構を搭載するために,レンズマウントを変更するという大英断をおこなったのである。
ところが1974年に発売された「マミヤDSX1000」「マミヤMSX500」は,ふたたびM42マウントを採用した。このM42マウントには,レンズの位置を確定するピンが設けられており,これによってM42マウントながら開放測光が実現されたのである。開放測光が実現するなら,いろいろな交換レンズが使えるマウントのほうが有利だという判断だったのだろう。
さすがに1970年代も半ばとなれば,スクリュー式のM42マウントは時代遅れになってくる。日本でのM42マウントの代表といえるペンタックスも,1975年にはKマウントと称するバヨネットマウントのモデルを発売するようになる。そうなると,ペンタックスから豊富なM42マウントの交換レンズが供給されなくなることが予想され,M42マウントを使う意義は薄くなっていったのであろう。そのような流れにあわせるかのように,マミヤからはあらたな独自の(「マミヤオートXTL」とは互換性がない)バヨネットマウントをもった「マミヤNC1000s」が1978年に発売された。このカメラには,シャッター速度優先AE機構が搭載されている。そして1980年には,またまたマウントを変更し,絞り優先AE機構を搭載した「マミヤZE」が発売されたのである。ここには,AE方式の主流が,シャッター速度優先AEではなく絞り優先AEあるいは両優先AEになるとの判断があったものと思われる。
これらの流れを表にまとめると,以下のようになる。
マミヤの35mm判一眼レフカメラ
発売 | 機種 | レンズマウント | レンズ名 | 特徴 |
1961 | マミヤプリズマットNP | エキザクタ | MAMIYA-SEKOR | 非自動絞り |
1962 | マミヤプリズマットWP | 独自バヨネット | MAMIYA-SEKOR | 自動絞り |
1964 | マミヤプリズマットCP | M42 | MAMIYA-SEKOR | 自動絞り 外光式露出計連動 |
1966 | マミヤセコール1000TL マミヤセコール500TL | AUTO MAMIYA-SEKOR (TLレンズ) | 自動絞り TTL絞りこみ測光 |
1968 | マミヤセコール1000DTL マミヤセコール500DTL | 自動絞り TTL絞りこみ測光 平均測光/部分測光 |
1972 | マミヤセコールオートXTL | 独自バヨネット (XTLマウント) | AUTO MAMIYA-SEKOR ES | 自動絞り TTL開放測光 シャッター速度優先AE |
1974 | マミヤDSX1000 マミヤMSX500 | 位置規制ピンつきM42 | AUTO MAMIYA-SEKOR SX (SXレンズ) | 自動絞り TTL開放測光 |
1978 | マミヤNC1000s | 独自バヨネット (NCマウント) | AUTO MAMIYA-SEKOR CS | 自動絞り TTL開放測光 シャッター速度優先AE |
1980 | マミヤZEクォーツ マミヤZE-2クォーツ | 電気接点つき独自バヨネット (ミラクルマウント) | MAMIYA-SEKOR E MAMIYA-SEKOR EF | 自動絞り TTL開放測光 絞り優先AE |
1981 | マミヤZE-X | 自動絞り TTL開放測光 マルチモードAE クロスオーバー機構 |
1982 | マミヤZMクォーツ | 自動絞り TTL開放測光 絞り優先AE |
マミヤZE-2クォーツ (1980年)
あらたな機構を取り入れようとするマミヤの姿勢は評価されてもいいと思うが,ユーザとしてはたまったものではなかっただろう。カメラを買って,少しずつ交換レンズなどを買い増していこうかと思ったところでモデルチェンジされて,以前のモデルの交換レンズ等が購入できなくなってしまうという状況は,迷惑以外のなにものでもない。とくに,「マミヤプリズマットWP」「マミヤセコールオートXTL」「マミヤNC1000s」といった,独自のバヨネットマウントを採用しながらあとが続かなかった機種のユーザは,最初に買ったセットを使い続けるだけなら問題ないとしても,かならずやほしくなる交換レンズの入手に困ったことだろう。無理に交換レンズをさがすのをやめて下取りに出し,ミノルタやペンタックスの一眼レフカメラに乗りかえたユーザも少なくなかったのではないだろうかと想像する。
マミヤの35mm判一眼レフカメラ最後のシリーズとなった「マミヤZE」シリーズは,1985年ころまで計4機種の発売が続けられた。最後になってようやく,マミヤのマウントも落ち着いた,というところだろうか。さらにはオートフォーカス機の試作もされていたようだが,残念なことに会社の存続が危ない状態に陥り,その後,現在にいたるまで中判カメラ専業の状態になっている。
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