撮影日記


2010年08月29日(日) 天気:はれ

機械にも感情はある

かつて,20年近く愛用していた腕時計があった。その腕時計は,日常生活防水仕様だったとはいえ,長年の使用において接点に錆が生じるなど,しだいに使えないものになってしまった。そしてある日,まったく動かなくなった。そしてそのまま,防湿庫にしまいこんだ。
 何年かたって,あたらしい電池を入れてみた。やはり,まったく動作をしていなかった。
 ところが,今日。
 その腕時計が,動いているのである。

この腕時計は,セイコーの「ハイブリッド」というシリーズの1つ。1980年ころの製品である。アナログ式の針による表示部と,ディジタル式の液晶表示部とをあわせもつものである。当時,流行しはじめていたタイプだ。
 動くようになった,といっても,もう実用的に使うことはできないだろう。なんといっても,針のほうはまったく動いていない。ディジタル側のほうはなんとか動いているものの,液晶漏れが起きており,文字が十分には読めない状態だ。

このセイコー「ハイブリッド」が不調になって以後,私は日常的には腕時計を使わなくなった。たぶんに,携帯電話を持ち歩くようになって,時計表示はそれに頼ればよくなったからであろう。その後,とくに「この腕時計を使いたい」という製品に出会うことがなく,腕時計を買わずに過ごしてきたのである。どうしても腕時計が必要なときには,ずっと以前にたまたま中古カメラ店に山積みされていたのを買った,「Nikon F5ウォッチ」を使っていた。

先日,デオデオ(広島の代表的な家電量販店)の「ウォッチ&カメラ館」の閉店セールのチラシがはいっていた。それを眺めていると,ちょっと品がよさそうで,それでいて安い腕時計が目に入った。なんとなくだが,久しぶりに「使ってみたい」と思える腕時計に出会ったような気がしたのである。
 そこでふと,そういえばセイコー「ハイブリッド」はどうなっているだろう?と気になり,引っぱりだしてみたところ,動いていたのがわかったということである。

それはまるで,「俺はまだ生きているぞー」「見捨てないでくれー」と訴えかけてくるようでもあった。

残念ながら,セイコー「ハイブリッド」はもう使えない。だが,安心しろ。決して,捨てたりはしない。長くお世話になってきたものなのだから,ずっと大事に保管してあげたい。
 しかし,デオデオのチラシで見かけた腕時計を買おうかどうしようかという迷いについては,「やっぱり買う必要はない」ということに落ち着いたのであった。

そう,機械にもきっと感情はあるのだ。たぶん「もう,古くなったお前なんか捨ててやる」などと思ったら,必死に「まだまだがんばるよ!」と訴えてくるのであろう。機械や道具は,粗末に扱えば,それなりの仕事しかしてくれない。しかし大切に,丁寧にあつかえば,すばらしいはたらきをしてくれるはずだ。
 カメラも同じ。
 収集が目的の人ならば,カメラをつぎからつぎに買い増していくのは当然だ。もちろん,収集したものは,きちんと大切に保管されることだろう。そうではなく,作品をつくるツールとしてカメラを買う場合はどうだろうか。自分にあったカメラにたどり着くまでに,何回か買いかえることはあるかもしれないが,いつまでもつぎつぎに買いかえているようでは,その人にちゃんと作品をつくることができる日が来るのかどうか,甚だ疑問である。
 まあ,カメラの評論家を気取ることはできるようになるかもしれないが。その場合であっても,コレクターの方が潔いというものだ。


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