撮影日記


2009年01月11日(日) 天気:曇ときどき雪

とんどの火

辞書によれば,「とんど」(どんど)は,小正月におこなわれるものである。小正月とは,旧暦の正月15日(あるいは14日から16日まで)をいうものである。「とんど」では,その年の正月に使った門松や注連縄,あるいはその年の「書き初め」で書いたものを燃やすため,現在では新暦の1月15日ごろにおこなわれることが多いようだ。わざわざ旧暦の1月15日まで,門松や注連縄,あるいは「書き初め」をちゃんと保管しておくのも面倒なことではある。
 とんどは,その地区のお祭りでもあり,1月15日ごろの休日におこなわれるケースが多くなるものと思われる。

Nikon FM, ILFORD 100DELTA (2008/01/13)

とんどは,村の境界でおこなわれるものだという説明もあるが,ここは神社のなかである。とんどのために竹や木々が組み上げられ,ところどころに「書き初め」のものと思われる,文字の書かれた紙も見える。
 神主さんが祝詞をあげる。つづいて,組み上げた木々になにかを撒いている。そばにいたご高齢の方が,いろいろと教えてくださった。
 「撒いているものは,米と塩だ。」
 「いっしょに撒いている紙は,1年間使ってきた御幣を切り刻んだものだ。」
 「(この縄で囲まれた範囲には,)身を清めた者だけが入ることができる。」

Nikon FM, ILFORD 100DELTA (2008/01/13)

さらに神主さんは,組み上げられた竹や木々にお酒をかける。さきほどの方が,さらにお話をつづける。
 「あの習慣が,日本をダメにしたんだ。」
 「神様がお酒を飲むというのは,勝手につくった話。神主が飲みたいためにつくられた言い訳だ。」
 「神様には,自然に由来する無垢なものをお供えする。水,山の水。」

そうこうするうちに点火。
 火は勢いよく燃え上がる。ヒノキの葉が,大量の煙を高くあげる。「書き初め」の紙は,火がつくと燃えながら高く舞い上がっていく。もちろん,万が一のために,消防団の方々や消防車も待機している。
 「とんど」で「書き初め」を燃やすと,文字が上達するとかなんとか,そういう考えもあるとのこと。そのとき縄をくぐって,竹の先に「書き初め」をつけて,火にくべた人がいた。
 「あのなかに勝手に入って・・・・自分の子どものことだけを考えている。」
 「汚らわしい,自分勝手な行動だ。ああいうのも日本をだめにするんだね。」

本来,祭祀というものは,それくらい厳格であるべきものなのだろう。少なくともこのような場には,さまざまな「タブー」は存在するはずである。そのようなことは,少しずつでも知っておくようにしたいと思う。

Nikon FM, ILFORD 100DELTA (2008/01/13)

昨年の「とんど」は,MD-12付きのニコンFMと,DACORA dignetteというレンズシャッターカメラで撮った(2008年1月13日の日記を参照)。上記の写真はいずれも,昨年,ニコンFMで撮ったものである。なお,レンズはなにを使ったのか,記憶も記録も残っていない。私のことだから,Ai NIKKOR 50mm F1.4かPC-NIKKOR 35mm F3.5だろうとは思うのだが・・・・。
 今年は,京セラ「SAMURAI」とコダック「STEREO CAMERA」を使うことにした。いずれも,残っているフィルムを消費してしまうのが主目的だ。とくに,京セラ「SAMURAI」に入っているフィルムは,何年越しのものになるだろうか,すでに記憶がない(^_^; これは,やばい。ここで「やばい」のは,もちろん記憶力の方ではなく,フィルムの方だ。
 今年も前年までと同様に,カメラをもっている人の姿がちらほら。けっして広い場所ではないので,ほんの数人ではあるが,カメラをもっている人の姿は目立つものである。一眼レフカメラのほかに,なにやらクラシカルなカメラを首からさげている人もある。そんな人たちから声をかけられた(クラシカルなカメラの正体は,ローライ35であった(*1))。どうも,KODAK STEREO CAMERAは,かなり目立ったようである。こういう場では,ちょっと変わったカメラをもっていくと,なにかと楽しめるようだ。

*1 http://kazu35.blog80.fc2.com/


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