撮影日記


2008年10月09日(木) 天気:晴

中国のカメラ

かつて,カメラといえばドイツ製であった。ライカやコンタックス(ContaxでありCONTAXではない)など,現在でも高く評価されているカメラの数々を,世に送り出してきたものである。
 その後,カメラといえば日本製となった。ニコン様やキヤノンなどの優秀な製品が,世界中で認められるようになったのである。
 現在でも,カメラといえば,NikonやCanonなど,日本のブランドが多く流通している。しかし,それらのカメラは,必ずしも「Made in Japan」ではない。コンパクトカメラなどのエントリーモデルの製品を中心に,Made in Thailand,Made in TAIWAN,Made in Koreaなどの文字を目にすることも多いだろう。もちろん,Made in China(この場合のChinaは,台湾ではなく,大陸の方を指していることは言うまでもない)という文字も,珍しいものではない。そういえば,「中古カメラブーム」「クラシックカメラブーム」に大きな影響を与えたと考えられる安原製作所のカメラも,中国の工場で製造されたものだったし,Lomographyの「おもちゃカメラ(トイカメラ)」も,中国製のものが多いようだ。

だから,「中国製カメラ」なんて,珍しくもなんともないのである。
 しかし,多くの中国製のカメラには,「中国のものではない」ブランド名が記されていたりする。カメラの正面に「MINOLTA」という文字が大きくあれば,それは「中国製カメラ」ではなく「(日本の)ミノルタ(というブランド)のカメラ」と意識されるのである。
 なかには,Lomographyのおもちゃカメラ全般を「ロシア製カメラ」と意識している人もあるようだ。さすがに,それはちょっと「痛い」わけだが。

閑話休題。
 中国のカメラ工場は,そういうOEMばかりやっているわけではない。独自のブランドで製品を展開しているところもある。このように,カメラの名前が「漢字」で書いてあれば,「おお!これは中国のカメラだ!」と強く意識されるのではないだろうか。

中国製二眼レフカメラ「MUDAN MD-1」
ネームプレートの「牡丹」という漢字表記が特徴的。

「牡丹(Mudan)MD-1」という,「丹東照相機廠(dan dong zhao xiang ji chang)」で製造された,中国のブランドのカメラである。カメラの名前「牡丹」だけを見れば,もしかすると日本製カメラかな?と思う人もあるかもしれない(そういえば,安原製作所の「安原一式」も「秋月」も,カメラの名前は漢字で表記されていた)。しかし,撮影レンズの下に記載された「丹東照相機廠」の文字は,明らかに現代の中国で使われる「漢字」である。
 中国の独自のブランドのカメラではあるが,「牡丹MD-1」は二眼レフカメラとしてありきたりなものである。そもそも,この種の二眼レフカメラに,カメラとしての独自性を強く持たせるのは難しいものがあるだろう。昭和30年前後に日本でも数多く作られた二眼レフカメラと同様,ドイツのローライコードあたりを手本に,安価に供給することを目的として作られたものと思われる。
 そうはいっても,細かい工夫はされているようだ。
 まず,このカメラの最大の特徴としては,6×4.5判の撮影も可能な点があげられる。フィルム送りは赤窓式だが,6×6判用と6×4.5判用との数字を読み取ることができるように,2つの赤窓が用意されている。6×6判と6×4.5判の切り替えは,カメラ内部にマスクをはめることによっておこなうため,いわゆるパノラマサイズのカメラに見られるようなフォーマットの「途中切り替え」はできない。また,一度フィルムを装填してしまうと,6×6判になっているのか6×4.5判になっているのか,外から確認する術はない。2つある赤窓は,つねに同時に開閉するようになっているので,それを利用して確認することもできないのである。このあたり,製品としての「詰め」が甘いと思わざるを得ない。

シャッター速度などのスペックは,平凡なものである。
レンズの下に,製造者名がある。日本語の漢字で表記すれば,「丹東照相機廠」となる。
「照相機」は「写真機」,「廠」は「工場」の意味。
6×6判と6×4.5判の兼用になっているが,フォーマットの間違いを防止する機構はなさそうである。

日本で,この種の二眼レフカメラが多く作られていたのは,昭和30年前後である。レンズ交換が可能なマミヤCシリーズ(Mamiya C220, Mamiya C330)と,露出計を内蔵したヤシカマット124G(YASHICA Mat-124G)は,1980年代後半まで日本カメラショー「カメラ総合カタログ」に掲載されていたが,1960年代にはすでに,マミヤとヤシカのほかには,ミノルタオートコード(Minolta AUTOCORD)シリーズを残すくらいになっていた。
 ここで紹介した「牡丹MD-1」が,何年に製造・販売されていたのかは,わからない。このカメラには,ネームプレート上にシリアルナンバーがあり,その上2ケタは「84」である。旧ソ連製のカメラに見られるように,「シリアルナンバーの上2ケタが製造年をあらわす」のであれば,このシリアルナンバーは1984年製であることを示すことになる。「丹東照相機廠」において,この種の二眼レフカメラはおもに1980年代に作られていたらしいので,このあたりは辻褄があう。
 1980年代の日本においては,二眼レフカメラははるか過去の「クラシックカメラ」となっていた。

なお,中国製二眼レフカメラは,現在でも新品で入手可能らしい。
 はじめて二眼レフカメラを使ってみようと思う人にとっては,「新品」を選ぶのも1つの選択肢かもしれない。ただ個人的には,はじめての二眼レフカメラを選ぶときには,中古の国産ブランドの二眼レフカメラをおすすめしたい。その大きな理由の1つは,価格が安いことである。1万円以下で見つけることは,難しいことではないだろう。また,二眼レフカメラを楽しむときは,そのレトロ感も楽しみたいはずだ。それならば,実際にそれだけの年月を経た機械にふれている方が,なにか伝わってくるものがあるに相違ないから。


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