撮影日記


2008年06月25日(水) 天気:曇

さすが,ここにも・・・・・

今日は千葉県内にいる。
 昨日は,佐原や銚子を経て,茂原へ行った。佐原といえば,伊能忠敬である。その資料館もあるようだが,立ち寄る時間がなかったのが惜しまれる。古くから香取神宮があり,商業等も盛んで,「北総の小江戸」とよばれる古い町並みも残っているというので,また機会を見つけて,ゆっくりと訪れたいものである。また,銚子を訪れるのは,この3月に続いて3回目(2008年3月22日,23日の日記を参照)となる。今回は,あわただしく通り過ぎるだけとなったのが残念である。
 銚子から茂原へ至る道は交通量も少なく,道も適度に曲がっていて,快適に走ることができるのだった。

 今日は,茂原から千葉を目指すことになる。
 茂原から大多喜へ至る道も,銚子からの道と同様に,快適である。すいすい走ることができる。山の中の道ではあるが,広島周辺のように山が深くない。そうしてたどり着いた大多喜の町は,いわゆる城下町である。大多喜城を開いたのは,徳川家康の直臣である本多忠勝とのこと。その後たびたび城主が変わったが,城下町としての町並を残しており,「房総の小江戸」とよばれているという。
 ん?さっきも似たようなことを書いたような気がするぞ・・・・あ,佐原は「北総の小江戸」であり,大多喜は「房総の小江戸」ということか。

 日本全国に「小京都」とよばれる地域は数多くある(*1)。古くから,各地の中心地が,京都に似せてつくられたことにその起源を求めることができるようだ。また,現在では「全国京都会議」により,一定の基準が定められているという。一方,「小江戸」については,かつてから江戸のように栄えた町をあらわすのに使われていたケースもあるようだが,現在では「江戸時代の風情を残す町」という意味合いが強いようである。佐原や大多喜が,「小京都」ではなく「小江戸」を名乗るのは,京都のような盆地地形ではないことや,京都よりも江戸とのつながりが強かったということなどが要因ではないかと想像する。

さて,小休止のための大多喜駅に寄ってみた。
 トイレの窓からは,ちょうど「いすみ鉄道」の黄色い車両が見えている。

Nikon D70, AF-S DX Zoom-NIKKOR ED18-70mm F3.5-4.5G

列車が来るまで,まだ少し時間があるようだが,駅には人が集まっている。鉄道の駅には,「人が集まる場」という役割もあるということだろう。さて,なにか飲み物を買おうと自動販売機を覗いてみると,どこかで見たことがある黄色い缶がある。おお,「マックスコーヒー」だ。そうだ,ここは千葉県なんだ。

画像は携帯電話のディジタルカメラ機能による。

なお,私は「鉄」ではないし,忙しいので,いすみ鉄道の列車が来るのを待つようなことはしない。

大多喜から木更津方面へ向かう。木更津から千葉へは湾岸道路というところを走るが,それまでの山の中の道とは違って,流れが悪い。あたりが工業地帯であるためか,2車線ある両側ともに大型車が通行しているため,見通しもわるい。ふと気がつくと,貨物列車が隣にいた。京葉臨海鉄道というらしい。貨物列車はゆっくり走っているように見える。こちらは,信号などで止まることもあり,追いついたり追いつかれたり,抜いたり抜かれたりをしばらく繰り返す。貨物列車が,どれくらいゆっくり走っているか,おおよそ見当がつくだろうか。
 ともあれ,今日の前半は快適な走行が楽しめたが,後半は少々気分的に疲れる走行となったのである。

*1 http://www.kyokanko.or.jp/shokyoto/ichiran.html


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