撮影日記


2007年12月30日(日) 天気:曇ときどき晴

今年やってきたカメラたち
〜1月から6月

「これ以上,カメラを増やすまい」と思いながらも,毎年のようにカメラが増えていくのであった。今年も,結局,かなりの台数のカメラが私の手もとにやってきた。それらを簡単にふりかえってみよう。

今年,最初にやってきたのは,学研「大人の科学マガジンvol.14」付録の「ステレオピンホールカメラ」である(2007年1月13日の日記を参照)。「付録」と書いたが,実際には雑誌の方が付録的な位置づけかもしれない。しかし,あくまでも雑誌の方が本体であり,カメラの方が付録である。このカメラは,「ライカ判2コマ分のパノラマ写真」を撮るか「立体写真」を撮るかを選択できる点が最大の特徴である。もちろん,どちらの場合もピンホール写真となる。このカメラを購入したのは,正確には昨年末である。しかし,使う前に「組み立て」が必要なのだ。学研の付録教材は,この「組み立て」という作業がともなうものなのである。「組み立て」は今年になってからおこなったので,これを今年最初に入手したカメラである,ということにする。
 と,ここまで書いて,昨年末(2006年12月31日)の日記を読み返してみると,これを2006年の最後に入手したカメラということにしているではないか。ま,いいか。足かけ2年で入手したカメラだ,ということにしておこう。

続いて,1月にダンボール箱いっぱいのカメラをいただいた。「元箱」や取扱説明書などの残っているものもある,貴重な資料といえるものも含まれていた。そこに含まれていたカメラのなかで,もっともうれしかったものとしては,六櫻社「ベビーパール」(Rokuoh-sha BABY PEARL)をあげることができる(2007年1月15日の日記を参照)。昭和初期のベスト半裁判というフォーマットのスプリングカメラである。70年以上前のカメラであり,レンズは曇っており,蛇腹も破れていたりしたので,試し撮りができるようになるまで少し時間がかかったが,実際に撮影してみると,しっかりした描写を示してくれる。カメラそのものもたいへんコンパクトだ。コンパクトさを追究したスプリングカメラという形態と,やはりコンパクトさを追求したベスト半裁判というフォーマット,両者がうまく融合したカメラである。コンパクトなのは当然だろう。惜しむらくは,127(ベスト判)フィルムの入手が困難であること。その問題がなければ,これからももっと積極的に使ってみたいカメラである。
 小型のスプリングカメラというと,パトローネ入り35mm判フィルムを使えるコダックの「レチナ」がある。それとくらべると,「ベビーパール」には機械としての精密感というか高級感のようなものは感じられない。しかし,そのせいか軽く感じられ,使っていて楽しくなるような雰囲気が味わえるのだった。

「ベビーパール」と同時にいただいたカメラのなかでは,「ビューティフレックスT」(TAIYO-DOU BEAUTYFLEX T)もうれしいものであった。以前から所有していた「ビューティフレックスV」(TAIYO-DOU BEAUTYFLEX V)などとあわせて,第二次世界大戦後の国産二眼レフカメラの価格破壊の進行を追っていけそうなものだからである(2007年1月28日の日記を参照)。あとでふれるが,今年は二眼レフカメラを何台か入手することができ,国産二眼レフカメラの変化を楽しめるようになったことも大きなできごととなったものである。

1月には,私にとって主力カメラとなるべきものも入手している。「マミヤプレススーパー23」(Mamiya Press SUPER23)だ(2007年1月16日の日記を参照)。友人の1人から安価に譲っていただけることになったものである。
 私がよく使うカメラの1つに,「マミヤユニバーサルプレス」(Mamiya Universal Press)のシステムがある。6×9判の撮影ができるカメラであるが,長年,使ってきたなかで落下させてしまうことが何度かあって,特徴の1つである距離計が使えない状態になってしまっていた(まあ,何度も落下させておきながら,撮影不能にならないあたりが,マミヤプレスの素晴らしい点なのだが)。また,マミヤプレスには後部アオリが使える機種もある。「マミヤプレススーパー23」は後部アオリの使える機種だ。
 「マミヤユニバーサルプレス」と「マミヤプレススーパー23」は,距離計を使うか使わないか,アオリを使うか使わないかで,適宜使い分けるようにしている。

5月には,自立する「三脚付ケース」とセットで,「全自動フジカ(フジカオート7)」(FUJICA AUTO-7)を入手した(2007年5月27日の日記を参照)。カメラそのものはたいして珍しいものではないが,この付属品はあまり見かけたことがない。
 このころ,別の友人から,「マミヤフレックスII」(MAMIYAFLEX II)(2007年5月31日の日記を参照)と「Zoom-NIKKOR AUTO 50mm-300mm F4.5」(2007年5月11日の日記を参照)をいただいた。「マミヤフレックスII」は,フィルム装填がオートマット化されていたり,巻き上げとシャッターのチャージが連動するセルフコッキング化されていたりするなど,自動化の進んだ高機能な高級二眼レフカメラであったが,ピント調整はリコーフレックスのような廉価版二眼レフと同様な回転式機構になっている,ある意味,不思議なカメラである。「Zoom-NIKKOR AUTO 50mm-300mm F4.5」は,35mm判一眼レフカメラ用としては初期のズームレンズであり,しかも標準域から超望遠域までをカバーした,超高倍率ズームレンズとしてもごく初期のものであった。歴史的に意味のあるものである。

6月には,久しぶりにジャンクカメラに手をだした(2007年6月16日の日記を参照)。キヤノン「EOS10」と「EF35-135mm F4-5.6USM」レンズのセットである。これは,私にとっての,はじめてのEOSでもある。この時代のEOSに共通する「シャッター幕に油状のものがこびりつく」というトラブルを抱えたボディと,激しくカビが生じた面のあるズームレンズの組み合わせであったが,幸い,簡単な清掃でとりあえず使える状態にもっていくことができたものである。同時代のカメラにくらべてもAFが迷いやすいような印象を受けたが,はじめての3点測距は,当時としてはまさに画期的なものだっただろうということが体感できたものである。これも,歴史的な意味のあるカメラであるといえるだろう。

さて,今年は,カメラのほかに,日本カメラショー「カメラ総合カタログ」の入手できていなかった版のかなりの部分が入手できたことも大きいことであった。最初の版である1960年版を入手できたことが,とくにうれしい。あとは1962年〜1966年,1996〜1997年版をのんびりとさがさがしていこうと思う。


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