撮影日記


2006年08月05日(土) 天気:はれ

日本は幸福な国土である

アカデミイ書店には,「小学理科書 巻四」(明治34年発行の高等小学校用理科教科書)のほかにも,そのころの教科書がいくつか並んでいた。先日,ここに立ち寄ったときには,さらにこのようなものも購入した。

「尋常小学読本 巻八」,発行者は国光社という。明治32年10月18日印刷,明治32年10月22日発行,明治32年12月18日修正再版印刷,明治32年12月21日修正再版発行となっており,19世紀の書籍である(明治32年=1899年)。ちなみに,明治32年12月23日文部省検定済である。
 この本は,表4(裏表紙)に,「第四学年 二宮 保」と読める記名があり,尋常小学校第4学年用の教科書であることがわかる。なおこれは全八巻となっており,半年で1冊,4年間で学習するようになっているようだ。このような分冊形態は,明治5年の学制において制定された当時の「下等小学」が,8級から1級まで半年ごとに昇級し,4年で修了するような制度になっていたことの名残りかもしれない。
 この教科書が発行された当時の尋常小学校は,修身,国語,算術,体操の4教科が教えられていた(このほかに,図画,唱歌,手工,裁縫を教えてもよいことになっていた)。この「尋常小学読本」は,「国語」の教科書に該当するものであろう。

「国語」の教科書というと,文学,詩,評論などの文章が載っており,それらの解釈を通じて読解力を身につけたり,あるいは作文や文法などを学習するものというイメージがあるだろう。ところが,この「尋常小学読本」は,そのような「国語」の内容のみならず,「地理」「歴史」や「理科」の範疇になると思われる内容も豊富に含んだ,全30課で構成されている。
 理科的な内容としては,たとえば第六課「有用ノ植物」があげられる。この課では,食料,繊維,塗料,木材など,生活に有用な植物が列記されている。
 地理的な内容としては,たとえば第五課「名所旧蹟」があげられる。ここでは,挿絵とともに,松島,天橋立,宮島という「日本三景」が紹介されている。

我が国には、名所旧蹟、甚多し。
 陸前に、松嶋といふあり。数多の嶋々連なりて、皆、松の生ひたるに、嶋の形も面白く、松のふりもめづらしければ、其の名、殊に高し。・・・・・(中略)・・・安芸の厳嶋には、厳嶋神社あり。しほ満つるときは、社殿あたかも、海上に浮かべるが如くにて、たぐひなき眺なり。・・・(以下略)

シンプルな説明であるが,松島がどういうところなのか,イメージがつかみやすい文章である。また,厳島神社についても,その特徴を端的にいいあらわしている。とまれ,全国各地に,名所や旧蹟とよばれる場所が多いことは,単に風光明媚な環境に恵まれているだけでなく,古くから観光地として開発されてきたこともあるだろうし,宗教など文化的な伝統の継続があったことを意味しているのだろう。そういえば,松島には,瑞巌寺という立派なお寺がある。ここにも文化の継続があったわけで,日本は,全国的にそういう国なのである。

別の課を見てみよう。第四課「地勢気候」では,次のような文章で,日本は四季の変化に富みながらも,住みやすい「幸福な国土」であると述べられている。

(前略)地形ノ、カク、南北に長キガ故ニ、両端ノ気候同ジカラズ。東京近傍ハ(中略)四月ノ半ハニハ、櫻ノ花盛トナレド、琉球、台湾、小笠原諸島ハ(中略)一月ノ頃、スデニ櫻花ノ開クヲ見ル。北陸道、奥羽、北海道等ハ(中略)五月ニ至リテ、梅、櫻、桃等、一時ニ咲き出ヅルナリ。
 カク、地勢ニヨリテ、気候異ナレド、他国ニクラブレバ、温和ニシテ、暑サ、ヤクガ如キ処モナク、寒サニ、指ヲオトス程ノ地モナク、實ニ幸福ナル国土ナリ。

このように,子どもにもわかりやすいたとえで,日本という国土のよいところを示すことこそ,自分が住んでいる国,地域への愛着心(愛国心や郷土愛などと表現してもいいだろう)を育成する基本として重要なことではないだろうか。淡々と述べられたこの文章には,無駄が感じられず,美しいとさえ思うことができる。また,この文中では「台湾」が,日本のなかの1つの地方としてごく自然に扱われていることは,この当時ならではのことであろう。ただ,「他国ニクラブレバ」というのは,言い過ぎである。日本だけが,このように温和なわけではない。

この教科書は,さらに日本史の概要や当時の世界情勢についてもふれたり(第二十六課〜第二十八課「国史ノ大要」),道徳的な内容もとりあげているなど,実にバラエティに富んだ内容になっている。また,「国語」の教科書らしく,手紙文の書き方(第十六課「年始状」)や,和歌(第三課「なからんのち」)なども扱われている。第三課の和歌は,その直前の第二課「楠正成」の話を受けてのものであろう。これは,当時の教科書での「定番」の題材だったようだ。

ただ,これだけの内容をきちんと理解させるには,そうとうな工夫が必要だったものと思われる。教える側にもそれだけの力量が必要だろうが,教わる側としても,かなり真剣に取り組まなければついていけなくなったのではないだろうか。だからといって,みんなが学習についていくことができるように,単純に教える事項を減らせばよい,というものでもないはずだ。


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