撮影日記


2002年11月30日(土) 天気:くもり

可部線存廃問題に思う(5)

廃止届提出

報道によれば,JR西日本は予定通り,29日に可部線(可部−三段峡)の「廃止届」を国に提出したようである。この結果,同区間は2003年11月30日までに廃止となる。さまざまに繰り広げられた種種の「存続運動」も,直接の成果は得られなかったことになると言える。
 報道では,この件に関する秋葉市長の発言として「今日は終わりの日ではなく,新たな取り組みの始まりの日にしたい」というものを伝えている。秋葉市長のこの発言がただの「お題目」ではなく,広島市として具体的ななにかビジョンを持っているかどうかを知りたい。また,最近の報道では,来年2月に予定されている市長選に,元・広島カープ監督の,古葉氏が出馬の意思を持っていることを伝えていた。広島市内でも,可部線非電化区間沿線には過疎が進んでいるとされる集落がある。このことも含めて,公共交通網のあり方についてのビジョンを,各候補者はどうとらえているだろうか,細かいことなので直接の「争点」として表にでてくることはないと思うが,気になる点ではある。
 また,報道ではJR西日本広島支社長の発言もいくつか伝えている。そのうち,気になる点が1つあるので,それは指摘しておきたい。
 1つは,「沿線では増便したバスの利用者も増えた。乗客が1人,2人という可部線が必ずしも支持されたとは思わない」というものである。広島と戸河内方面の交通の便としては,所要時間の面で,高速道路経由のバスが圧倒的に便利なことは事実であろう。これを支持する利用者が増えるのも自然なことと思われる。ただ,これは乗客を獲得しようとするバス会社の「経営努力」の1つの結果ではないだろうか。また「乗客が1人,2人という可部線」というのは,はたして事実をきちんと認識しての発言だろうか。ここに疑問を呈さない報道機関は,JR西日本の発表した「うそ」をそのまま伝達したという「大きな誤り」を犯している。それとも,そのまま伝達することも,その報道機関の意図だったのだろうか?

可部線は過小評価されている?

可部線の弱点の1つとしては,市内中心部へ直通していないことがあげられる。可部方面から広島市内中心部方面に向かうとき,大町でアストラムラインに乗りかえるか,横川ないし広島で,バスか路面電車に乗り換える必要がある。可部線の可部−横川の区間で,並行する道路を走るバスに対して,時間的,運賃的に圧倒的な優位に立っていればいいのだが,その差がわずかでは「乗り換え」という手間の影響が大きな負担に感じられるだろう。
 また,可部線の駅から遠いところに住む人が,わざわざバスで可部線の駅まで行って可部線に乗り換え,さらに市内中心部へ向かうバスに乗り換えるという面倒なことをするだろうか?多少時間がかかるようでも,多少運賃が高いようでも,乗り換えをするとそれだけ余計に時間も運賃もかかるので,市内中心部に直通するバスがあれば,それに乗ろうと考える人が多いのは自然なことである。これはむしろ,各バス会社が路線を充実させてきた成果といえるかもしれない。
 しかし,朝夕のラッシュ時間帯などは,横川−可部の駅間に限って見れば,可部線の方がバスよりも所要時間が短いようである。こういう点において,可部線の潜在的な力は過小評価されているのではないだろうか。かつて,広島と三段峡を直通していた臨時快速は,広島と三段峡の間を,わずか1時間29分で結んでいたこともあった。この快速は,横川−可部の区間も快速運転をおこなっていた(便によっては,可部駅すら通過していたものもある)。横川−可部の区間の運転本数が,当時にくらべて大幅に増えていることから,快速運転がやりにくくなっているという事情はあると思う。しかし,臨時快速が運転される,休日朝の可部方面行きについても,快速運転ができない状況なのだろうか。

いま,横川が元気である

横川駅前で,工事がはじまっている。路面電車やバスの停留所を,横川駅のすぐ前まで移動させるような,大規模なものである。それに伴って,周囲の商業施設を充実させたり,駅前広場などの空間を整備するなどの計画も含まれている。
 横川駅前から乗ることのできる路面電車は,これまで江波行きのみで,市内中心部に直通する便は運転されていなかった(以前は,横川−紙屋町−八丁堀−広島駅の系統があったが,昭和40年代前半に廃止されたようだ)。今回の横川駅前の改修にともなって,横川−紙屋町−市役所−広島港(宇品)の系統が新設されることになっている。これにより,横川でJRから路面電車への乗り換えをする人が増えるものと期待されている。
 惜しまれることは,これがもう少し早く実現していたら,可部線の意義を見直すチャンスがもっと拡大していたのではないかと思えることである。むしろ,これからこそが,可部線の可能性を探る「実験」をおこなう時期としては適当だっただろう。


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