撮影日記


2002年11月23日(土・祝) 天気:はれ

可部線存廃問題に思う(2)

試験増便はしてみたけれど

可部線の利用者が減少していった理由としては,次のようなものがよくあげられているようだ。

  • 沿線人口の減少
  • マイカーの普及
  • 利用しにくいダイヤ

 このうち,「利用しにくいダイヤ」について,少し考えてみる。
 まず,絶対的に沿線人口の少ない地域なので,極端な増便は難しいという前提はあるものとする。とはいえ,次の列車まで2時間以上も間があくと,やはり「使えない」という印象を持たざるを得ないだろう。せめて,1時間に1本は走っていてもらいたい。
 ところで,存廃判断のための「試験増便」では,加計,戸河内方面から広島方面への通勤・通学者への利便をはかる増便がなされていた。数的にはまだまだ不十分という意見もあるだろうが,朝は加計発6時台に広島市内方面行きが2本(これらは定期列車だが,うち1本は試験増便で三段峡発),夜は広島発17〜20時台に毎時1本計4本,加計方面に連絡する列車があった(うち1本は試験増便による増発,さらに4本中2本は試験増便として三段峡まで延長運転)。通勤時間帯に限っては,1時間に1本という状態を実現できていたといえる。
 それでも顕著な利用者増がみられなかったとすれば,要因は別のところにあると考える必要が出てくる。たとえば,可部線の駅から自宅がさらに遠いために利用できないケースとか,仕事が不規則でもともとマイカーでなければ通勤できない人が多いとか,さまざまな要因があり得る。

工夫のない従来ダイヤ

朝と夜の試験増便列車は,どちらかというと加計,戸河内方面の人に対する便宜をはかったものと言える。しかし,可部線存続運動においては,都市と中山間部との交流事業の模索が1つの大きなポイントだったと言えるので,広島市内方面から加計,戸河内方面へ行くことの便宜も考慮しなければならない。そのための増便列車が,広島と三段峡を直通する快速列車の設定であると言える。この快速列車は,可部線が三段峡まで開通したころから,ゴールデンウィークや秋の紅葉シーズンなどに運転されていた。それを,ほとんどすべての土曜日や休日にも運転するように拡大されたものである。
 これは,広島を9時40分ころに発車し,加計や戸河内にお昼前に着くので,各種イベントへの集客には一定の効果をもたらしたようである。しかし,とくにイベントのないときなどは,実際に乗ってみても決して利用者が多いとは言えないという印象を持っていた。
 時刻表を眺めてみると,不思議なことが1つある。可部発朝一番の列車は加計までしか行けないことである。この点は,三段峡まで開通して後,これまで変わることがない。

早朝から歩きたいのに・・・

可部線の大きな可能性の1つには,「三段峡」という1級の観光地と,広島という都市を直結していることがある。そのため,たとえば紅葉のシーズンなど,天気がよいと,4両に増結しても,列車は満員に近い。
 私の場合,三段峡へ行くときはゆっくりと峡谷を散策し,写真を撮りたい。しかし,仕事を持つ身としては,時間をできるだけ有効に使いたい。つまり,昼間の時間を移動に使いたくないわけで,たとえば休日の早朝に出発して日帰りしたいのである。ところが,その要求を満たす列車は,試験増便中にも,それ以前にも設定されていた気配がない。定期列車では,もっとも早い列車でさえ,三段峡への到着は11時前である。1回目の試験増便のときには,直通の臨時快速は広島を7時40分ころに発車しており,三段峡には9時半ころに着くことができた。これならまだ使いものになるのだが,2回目の試験増便からはこの快速が2時間繰り下げられて,三段峡の散策目的には使えなくなってしまった。
 もう1つは,夕方遅く,広島を出発できないという問題もある。たとえば休日の前夜,仕事が終わってから出発して三段峡で1泊する方法が考えられる。試験増便期間中には,広島を20時ころに出発しても三段峡に到着することができたが,利用者が少なかったということで試験増便期間途中に打ち切られてしまい,三段峡まで行ける定期列車は16時ころで終わってしまう状態である。私が考えているような利用をしたい人は,ごくごく少数派に過ぎないのだろうか?


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