撮影日記 |
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2001年04月02日(月) 天気:はれ平成13年芸予地震から1週間3月24日,午後3時半ころ,安芸灘付近を震源とする大きな地震があり,広島県内では,呉市を中心に大きな被害があった。地震のエネルギーはかなり大きかったものの,震源が深かったために,兵庫県南部地震ほどの被害には至らなかったといわれている。 豊橋にはほとんど「こだま」しか停車しない。だから,名古屋で乗りかえることになる。その「こだま」を待つ間,携帯電話をチェックしてみると,留守番電話にいくつかのメッセージが入っていた。そして,そのどれもが「おい,無事か?」という内容である。はぁ?なんのこっちゃ?と思い,メールもチェックしてみると,その中の1つに,「広島で大きな地震があったそうですが・・・・」というものがあり,このときはじめて,私は広島で大地震があったことを知ったのである。 職場や広島の知人に連絡を試みるが,やはり普通の電話にはまったくつながらない。しかし,携帯電話なら割合すんなりとつながった(あとから気がついたが,つながりにくかった相手は,J-PHONEユーザーだったようだ)。そして,ようやく状況が飲みこめたのである。翌日は午後から会議の予定があったが,とにかくその夜のうちに広島に戻ることは不可能のようだった。 翌日,実家で早朝からラジオのニュースをチェックしていると,6時半ころから運転再開という情報が流れていた。それなら余裕で帰れるぞと,出発の用意をしていると,「運転再開は8時ころの見込み」「運転再開は8時半以降」と情報が変わった。また,在来線は動いているようなので,とりあえず岡山まで行けばなんとかなるだろうと,出発することにした。新大阪駅に着くと,8時過ぎの「ひかり」のホームには,すでに長い列ができていたので,隣のホームのガラ空きの「こだま」に乗った。のんびりと姫路を過ぎたあたりで,「岡山以西運転再開」の知らせが入ってきた。 そういうささやかな苦労をして帰宅してみると,部屋の中は思ったほどは乱れていなかった。しかし,植木鉢が1つひっくり返って,土が散らかっていたのを片付けるのは面倒だった。 |
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