撮影日記


1998年01月02日(金) 天気:快晴

写真が濁れば邪心になる

元日は天気に恵まれなかったが,今日は見事な快晴である。午後から,梅から生まれた梅太郎をさそって,寒ボタンで有名な奈良県の石光寺へ行った。今年は気候が平年からややずれているせいか,すでに見ごろな時期は過ぎているようだった。梅から生まれた梅太郎は,PENTAX 6×7と最近格安で入手したというFUJI GX690IIIの2台,私はいつものMamiya Universal Pressを使った。もちろん,35mm判もサブとして用意はしていたが,私はほとんど使わなかった。
 石光寺を出るとき,こんな言葉が書いてあるのに気がついた。

 口が濁れば愚痴になる
   徳が濁れば毒になる

石光寺に来ていた他の人びとの中にも,本格的に写真を撮っていると思われる人が少なくなかった。中にはBRONICAの姿もある。やはり,中判カメラは目立つ。反対側ではカシャカシャカシャという連写の音が聞こえる。みると,AF一眼レフカメラのようだ。その人がかまえるたびにカシャカシャカシャと3つ音がするので,いわゆるオートブラケティングというヤツだろう。
 そう,きっとそんな人は,花なんて見ていないんだ。写真だって機械的に撮っているだけ。ひたすらシャッターをきる。しかも,機械まかせの撮り方。単なるスナップではなく,「花」という生命を撮っているのだ。被写体とじっくり向きあうという姿勢を持っていないのだろう,そういう気がしてきた。先の言葉を写真に当てはめてみよう。

写真が濁れば邪心になる

被写体とじっくり向きあうこと,もっとも基本的なことと思うのだが,どうだろうか。「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」的な撮影は,「写真を楽しんでいる」ようにも「花を見ることを楽しんでいる」ようにも見えない。
 「写真を撮ることが楽しい」と思う人なら,絶対にスナップが楽しめるはずだと思う。


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