撮影日記


1997年09月13日(土) 天気:くもり

最高のカメラを求めて

「ライカ」というカメラがある。とくにMシリーズと呼ばれるものについては,一部に熱狂的な信奉者がいるようだ。伝統的な技術による非常に精密な機械らしい。それを所有することそのものにも,大いなる歓びを伴うようだ。
 また,「コンタックス」というカメラがある。これも一部に熱狂的な信奉者がいるようだ。そして,それを所有することそのものにも,大いなる歓びを伴うようだ。
 ひとつおもしろいのは,「コンタックス」を支持する人は「ツァイスレンズの描写は最高だよ」という主張をするケースが多いのに対し,「ライカ」を支持する人はあまりレンズの描写についてとやかく言わないことである。とすると,「コンタックス」ユーザーは「コンタックス」で写真を撮るが,「ライカ」オーナーは所有するだけで満足して写真を撮らないのだろうか。部屋の中で空シャッターを切りニンマリしているだけでは,「写真機」としての「ライカ」がかわいそうだ。
 もちろん,「ライカ」でいろいろな作品を発表する人は,プロ,アマ問わず多くいるはずだ。しかし,実際に巷には「ライカで写真を撮る人」よりも「ライカを持っていることを自慢する人」の方が多いように感じる。私はそういう人に対して,巨大な嫌悪感を感じる。写真は写してナンボのものだ。値段の高いカメラを持っていることを吹聴するなど,単なる醜悪な「成金」である。
 もちろん,人それぞれ趣味というものがある。「ライカ」に芸術的工業製品という価値を見いだして真剣に収集をしている人もいるだろう。それは問題ではない。同じ趣味,価値観を持つものどうし楽しめばよい。しかし,自分が「ライカ」を持っていることを吹聴したいがために,価値観の異なる者に自分の主張を押しつけるような者ははっきりと批判したい。それは具体的には,7月9日の日記に書いたような「ライカおやじ」のような人物である。所詮は「成金」,はったりの「ハッセル弾1発」で撃退されてしまう,つまらないヤツである。
 基本的に,「これが最高のカメラです」というものは存在しないと考える。撮影対象や撮影スタイルによって,それぞれ最適な道具は変わる。「ポートレートには絶対に大口径中望遠レンズを使いなさい」と説明する人がいると思うが,それは「絶対」ではない。厳密に言えば「ウソ」になるだろう。しかし,その「ウソ」は悪いことではない。「ウソも方便」という。ポートレート撮影の基本や大口径中望遠レンズの性質などを初心者にわかりやすく説明するために,あえて「ウソ」をついたと言えるのだ。
 風景写真には単焦点レンズがいいのか,ズームレンズがいいのかという問題もある。どっちでもいいのだ。ただし,撮影対象や撮影スタイルによって変わるのだ。どちらにしても「決めつけてしまう」のは一面的な考えに過ぎず,自らの写真についての成長を押さえつけてしまうという負の作用しかそこには残らないだろう。


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